世界、大人の社会科見学!

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東南アジア周遊

楽宮旅社,北京飯店,JULYホテル (2006.9-10 父一人旅アジア周遊47)

かつて日本の個人旅行者はバンコク中央駅周辺に良く泊まっていた。

それまではラマ4世通りを東にいったマレーシアホテル周辺が安宿エリアとして有名だったのだが、駅の付近にはもっと安い宿があるとの噂が流れ、そちらに移動したのだ。

駅の西側にある運河の橋を渡り、運河沿いの道を少し歩くと、左側に「7月22日記念公園」の噴水が遠くに見える道がある。なぜ7月22日なのかは忘れた。何かの記念日だったように思う。

suwani1.jpg

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楽宮旅社、北京飯店、JULYホテル
(2006.9-10 父一人旅アジア周遊47)

かつて日本の個人旅行者はバンコク中央駅周辺に良く泊まっていた。

それまではラマ4世通りを東にいったマレーシアホテル周辺が安宿エリアとして有名だったのだが、駅の付近にはもっと安い宿があるとの噂が流れ、そちらに移動したのだ。

駅の西側にある運河の橋を渡り、運河沿いの道を少し歩くと、左側に「7月22日記念公園」の噴水が遠くに見える道がある。なぜ7月22日なのかは忘れた。

ここは昔からホームレスのたまり場でもあったのだが、麻薬に手を出す旅行者が出入りしたことから、売人や娼婦なども集まり、バンコクでもあまり治安の良くない場所だった。

july22_hunsui.jpg

「お、噴水だ」とここを左折すると、すぐに楽宮旅社の入り口がある。そこには「乞登三楼」のような張り紙があり、なんだと思って登るとそこが安宿の受け付けだったわけだ。

誰が最初に見つけたのかは分からない。しかし、ここはなんとか清潔で、駅にも近く、また1泊40バーツ(1980年頃)と安上がりだったので、なんとなく客が増えた。あとは口コミだ。

実際にはトイレもないし水シャワー共同のかなりボロ宿だったのだが、バンコクはインドなどへの出入り口でもあり、特にインド帰りの旅行者には十分清潔で安い宿に思えたのだろう。

ここは数年前に借家権が切れ、もう営業していない。
今では入り口にシャッターが降りっぱなしになっている。

suwani_lacky.jpg

また、ここには耐えられないという人は、7月22日ロータリー沿いにある、July Hotel に泊まっていた。July Hotel にはエアコンのある部屋もあったし、お湯も出た。値段も楽宮の倍かその程度だったので、こちらの方が良い、という旅行者も少なくなかったのだ。ここには月決めで部屋を借り、アパートのように家具を入れて住んでいる人もいた。ここも今は営業していない。

July22hotel.jpg

そして、楽宮旅社の1階で、この辺の労働者相手を相手に営業していたのが北京飯店だった。

昔は現地の人の食堂だったらしいが、上の階にある楽宮旅社に日本人が溜まり始めてから、旅行者の要望に応える形で少しずつ日本食を出すようになり、やがて日本人のたまり場となったと聞いた。ここは今も営業を続けている。

suwani1.jpg

メニューも昔のままだ。ただ値段だけを張り替えている。品数が少し増えているかもしれない。

suwani_menu.jpg

初めてここに来た時、ここは既に日本人食堂になっていて、お粥が1バーツだった。麺類やフルーツシェークは5バーツだった。いくら80年前後とは言え、これは現地価格そのままで、旅行者とっては破格に安かった。バスの料金が2バーツだった時代の話だ。今でも現地価格はそのままだ。

ここにはまだ日本人旅行者が来る。

楽宮旅社がなくなり、時が経ち、旅行者も年を取った。経済力もつけ、シェラトンやインターコンチネンタルに泊まり、ここまで食事にくる。今回も私より少し年上の男性がいて、思い出話に花が咲いた。80年前後のこのエリアを知っている者にとって、同じ経験を共有している者は仲間のように思えるのだ。

ここの女主人は名前をスワニーという。もともと中国本土の出身らしい。
運良く(?)日本人食堂になったおかげで、普通の食堂を経営するよりは多少稼ぐこともできたようだ。

suwani.jpg

「あんたスワニ知ってるのか?」

知ってるも何も、4半世紀前には姉弟のように仲良く話をしたじゃないか。

まぁ私は通りすがりの旅行者の一人だから、いつまでも覚えている方訳もない。でも私は忘れない。旅行を初めて間もない頃、ここは私の旅の出発地だったのだから。

スワニーも私も年を取った。
日本より生活環境の厳しいバンコクの下町で生きたスワニーは、私より年を取ったように感じる。かつての若さを取り戻したいのか、厚い化粧がなんだか痛々しい。

ぼくたち、昔は若かったんだよね、スワニー。お互い年を取ったもんだ。うまく生きてもあと30年生きるか生きないか、だろうな。そしたらもう老人だ。

ここを訪れる日本人も、昔のように多くはない。
スワニーがいつまでここで北京飯店を開くことになるのかは分からないが、そんなに長いことではないような予感もある。

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