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小三通 - 中国/台湾・金門島

小三通 - 香港/中国/台湾,陸海路の旅21 「台湾・金門島 古寧頭戦史館で(多分)とても親切にされた件」

 
国共合作と国共内戦の歴史はややこしい。

最初の国共合作は1924年、当時の北京政府(直隷派政権)と軍閥に対抗するため、中国共産党員が個人的に国民党に加入する、という形だったらしい。これは1927年まで続く。蒋介石の上海クーデターまでが第一次国共合作の時期であると言って良い。

この後共産軍は武力闘争を開始するのだが、反共より抗日を優先すべきとした張学良による1936年の西安事件を受けて、1937年に第2次国共合作が始まる。まぁ抗日共同戦線のようなものだ。

しかし1945年日本が中国から敗退すると、国連の常任理事国となった中華民国内で国民党と共産党が対立、1946年に国共内戦に突入する。戦闘は共産党が大陸の要所を制圧し、1949年の中華人民共和国成立宣言に至る。中華民国の国民党軍としては台湾に退却してはいたが、当然大陸の再制圧を考えていただろう。

あー、ややこしい。

古寧頭の戦いは1949年10月25日、「台湾開放」を掲げた人民解放軍によって行われた金門島上陸作戦だ。

中華人民共和国(例によって以降中国)にしてみれば、大陸の間近にある金門島は中華民国(同じく以降台湾)は危険きわまりない存在だっただろうし、台湾にしてみれば金門島を失うことは大陸再進出の大拠点を失うに等しい。その古寧頭の戦いを台湾側の視点から紹介するのが古寧頭戦史館だ。


より大きな地図で 金門島 を表示

ここではっきり書いておくが、私は「中国と台湾のどちらかだけを支持して、どちらかだけを支持しない」という立場は取らない。

ぶっちゃけて言えばそれぞれの国にそれぞれの印象はあるのだが、「旅行者は歴史を含め政治的な発言は避けるべき」という想いが強くあるし、ましてやそれをブログに書くなど出来ない。だいたい「白か黒か」的二分法の思考はかなりの馬鹿がするものだとも思っている。私は結構馬鹿だが、そこまでではない。と思いたい。

またしても前置きが長くなってしまったが、えっと、古寧頭戦史館だ。

guningtou_battle_museum_03.gif

まず目に入るのは「反空降堡」…


 

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国共合作と国共内戦の歴史はややこしい。

最初の国共合作は1924年、当時の北京政府(直隷派政権)と軍閥に対抗するため、中国共産党員が個人的に国民党に加入する、という形だったらしい。これは1927年まで続く。蒋介石の上海クーデターまでが第一次国共合作の時期であると言って良い。

この後共産軍は武力闘争を開始するのだが、反共より抗日を優先すべきとした張学良による1936年の西安事件を受けて、1937年に第2次国共合作が始まる。まぁ抗日共同戦線のようなものだ。

しかし1945年日本が中国から敗退すると、国連の常任理事国となった中華民国内で国民党と共産党が対立、1946年に国共内戦に突入する。戦闘は共産党が大陸の要所を制圧し、1949年の中華人民共和国成立宣言に至る。中華民国の国民党軍としては台湾に退却してはいたが、当然大陸の再制圧を考えていただろう。

あー、ややこしい。

古寧頭の戦いは1949年10月25日、「台湾開放」を掲げた人民解放軍によって行われた金門島上陸作戦だ。

中華人民共和国(例によって以降中国)にしてみれば、大陸の間近にある金門島は中華民国(同じく以降台湾)は危険きわまりない存在だっただろうし、台湾にしてみれば金門島を失うことは大陸再進出の大拠点を失うに等しい。その古寧頭の戦いを台湾側の視点から紹介するのが古寧頭戦史館だ。


より大きな地図で 金門島 を表示

ここではっきり書いておくが、私は「中国と台湾のどちらかだけを支持して、どちらかだけを支持しない」という立場は取らない。

ぶっちゃけて言えばそれぞれの国にそれぞれの印象はあるのだが、「旅行者は歴史を含め政治的な発言は避けるべき」という想いが強くあるし、ましてやそれをブログに書くなど出来ない。だいたい「白か黒か」的二分法の思考はかなりの馬鹿がするものだとも思っている。私は結構馬鹿だが、多分そこまでではない。と思いたい。

またしても前置きが長くなってしまったが、えっと、そうそう古寧頭戦史館だ。

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guningtou_battle_museum_03.gif

まず目に入るのは「反空降堡」だ。

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高射砲と言うには銃身は小さいし固定して使うのも賢明だとは思われないので、ここは空挺部隊などに対応する対空陣地くらいではないかという気がする。古寧頭の戦いは海路で上陸した人民解放軍と島の国民党軍との陸上戦だったので、その時には使われなかったんじゃないかとは思うのだが、実際の戦場では何があるかわかんないしなぁ、である。いかん、なんだか書き方が弱気になってきた。

「金門之熊」ことM5A1軽戦車。アメリカ製だ。

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人民解放軍は多数の小型船で金門島を奇襲したわけだが、それでは重火器など運搬出来るわけはなく、当然対戦車砲など持っていなかっただろう。この軽戦車は大変な働きをした。だから「金門の熊」などと呼ばれた訳だが。ちなみにエンジンはキャデラック製。きっと嫌になるほど燃費は悪かっただろう。

古寧頭戦史館入口。

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823戦史館が改修で休館していたため多少不安だったが、ここは開いていた。ここも休館中だったら私は結構やさぐれたと思う。ちなみに入場料は無料。そう言えば台湾に来てから、食事代とレンタルバイク/ガソリン代以外全くお金を使っていないなぁ。ありがたいっちゃありがたい。

日本では自衛隊の広報センターを一時期有料にさせたみなさんがいるが、広報活動という一種の情報戦の現場に入場料を強制させるなんて、頭の弱い私の左斜め上を行っていると思う。

古寧頭の戦い(古寧頭戦役)の経緯。

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うわ、やっぱ馬山観測所から見えた角嶼島、小灯島、大灯島を経由してきたんだ。そりゃ台湾が馬山から観測したくなるのも分かる。その気になれば泳いででも行けそうな距離だったもんなぁ。

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少なくとも9000人の兵士が上陸した割には、上陸エリアが狭すぎる気もするのだが、私は軍事の専門家ではないのでこの辺についてはよく分からない。ともあれ、ここ古寧頭・北山エリアが最大の激戦地であったことは間違いない。

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戦闘の記録は、絵画、軍用品、そして映像ホールによって紹介されている。

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人民解放軍上陸、ということらしいのだが、どう見てもジャンク船です、これ。

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夜間に上陸、そのまま戦闘が始まったようだ。

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この戦車が多分「金門之熊」なんだろうな。
台湾側の描いた絵画とはいえ、ろくな兵器が見当たらない中この存在は大きい。っていうか、重火器なしで上陸させられた人民解放軍兵士が気の毒だ。

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戦闘は市街地に及ぶ。北山の街なのだろう。

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56時間に及ぶ白兵戦は最終的に国民党軍の勝利で終わる。

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台北駐大阪経済文化弁事処のサイトには、「双方は3日間にわたる激戦で、最後には7,000人余りの共産党軍を捕虜とし、約3,000名の共産党軍と1,200名の国民党軍の将兵が、金門島の西北端にあるこの古寧頭の地に倒れ、再び家族の元に帰ることはなかった」とある。2009年の記事だし、このあたりが正確な数字に近いのだろう。
http://www.taiwanembassy.org/JP/OSA/ct.asp?xItem=114717&ctNode=5660&mp=247

実際にバイクで走ってみると実感できるが、この小さな島の限られたエリアで僅か3日間に4000人以上が亡くなったのだから、どれだけ凄惨な戦いだったのだろう、と思う。

国民党蒋介石総統、

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でその時の写真、

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更には、その時の車。

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「金門之熊」の旗や

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他にも物を壊すのに便利で、いろいろ危なそうな物も展示している。

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映像ホールでは、古寧頭の戦いについての短編映画を見ることができる。

決して規模は大きくないが、動画の他電光仕掛けの地図なども連動しなかなか良くできている。戦史館入り口側に座った方が文字も読みやすい。

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今でも少し気にかかることがある。

この映像は1日8回の上映で、本来なら私はこれを見ることができなかったのだ。

上映時間について直接尋ねスケジュール的に厳しいことを職員の方に確認したのだが、館内を見学中の私をわざわざさがしてくれて「これから上映を始めますがご覧になりますか」と声をかけてくれたのだ。もしかしたら外国人(日本人)訪問者のために予定外の上映をしてくれたのではないか?、と今でも思うのだ。

実は古寧頭の戦いには日本人も関わっている。ここでは詳細は記さないが、関心のある人にはこんな本を紹介しておく。

ルールに則った臨時の上映なのかもしれないし、小さな館内で私を捜してくれたことなど小さな親切と言えばそれっきりだが、そりゃ良い印象持ちますよ、当然。

広報とかプロバガンダとかって、こういうことがとても大切だと思う。
自衛隊の広報センターを有料化したみなさんは、もう少しいろんなことを考えた方が良いのではないか。ついでにスパコンも2番じゃだめに決まってるじゃん!

この展示が台湾側の視点による物であることは重々承知だ。中国側にもいろいろ言い分はあると思うし、どちらが正しくてどちらが間違っているとは、簡単には言えない。

今回は小三通を体験したかったため、更には金門島に来てみたかったためここを見学することになったが、中国側に同じテーマの展示館があれば、ぜひ訪問してみたいとも思う。そしてそれが叶ったときには、ぜひ訪問客を大事に扱って欲しい。

質問などにろくに調べもせず「没有」の一言で済まされると、やっぱり印象良くないし。(´・ω・`)

台北駐日経済文化代表処のサイトによると、2010年7月20日、古寧頭に国共両軍戦没者を慰霊する「萬聖祠」が完成した、とある。

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「(略)この「萬聖祠」を建設することになった由来は、2008年12月に金防部の地雷撤去大隊が古寧頭から沙崗まで地雷撤去作業を行った際に、明朝および清朝以来の古寧頭村民の祖先の墳墓1、000基以上を掘り出し、また、古寧頭戦役で戦没した国共両軍(国民党軍と中国共産党軍)の兵士の亡骸を数多く掘り出したことから、地元民から大きな関心が集まった(略)」

「(略)61年前の古寧頭戦役の時の国共両軍の戦没者の御霊が祀られ、後の世代の人々が、戦争の歴史を理解し、教訓に留め、その上で両岸の平和を求めていくことになるからである」と強調した」
http://www.roc-taiwan.org/ct.asp?xItem=150638&ctNode=3591&mp=202

こういう時代になったことは素直に喜んでいいよなぁ。

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