多少の違和感と共に、苫前「ベアロード」を三毛別に向けて走った件 (2011.10 スカイマークの成田便で道北1泊2日 4)
私が苫前町古丹別での昼食にこだわったのには理由があった。国道239号線の古丹別から枝分かれする、道道1049号線(道道苫前小平線)を南下し、三毛別羆事件復元現地を訪問するためだ。
三毛別羆事件とは、1915年(大正4年)12月にここ苫前町で起きた、世界でも最大規模の熊害事件だ。(ちなみに「熊害」は「ゆうがい」と読む。私は先月までこの言葉と読み方を知らなかった。)今年の8月、フジの奇跡体験!アンビリバボーという番組で紹介され、再度話題になったらしい。私はボルネオにいたから見ていないけれど。
例によって日本語版Wikipediaから引用すると、こうある。
「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん、六線沢熊害事件、苫前羆事件とも)とは、1915年12月9日 - 12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した、国内では特定の動物による最も大きな獣害(じゅうがい)事件。羆が数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7名が死亡、3名の重傷者を出すという被害があった。古くは『羆嵐』(吉村昭)がこの事件をモデルに小説化され大きな話題を呼んだ。」
http://bit.ly/akLf9L
この事件は恐ろしさは、一匹の羆によって7人が命を奪われ3名が重傷となったという被害の大きさだけではなく、2日間/3回に渡っての襲撃という「襲われる恐怖」の中での惨劇だった点にある。他にもいろいろ惨い事実があるのだが、詳細は日本語版Wikipedia「三毛別羆事件」の項を参照して欲しい。あるいは、苫前町のサイトにある「事件の概要」を読むのも手っ取り早い。
http://bit.ly/l0RA3B
この事件は吉村昭によって「羆嵐」というタイトルで小説化され大きな話題を呼び、ラジオドラマやテレビドラマになった。ラジオドラマの方はネットで聞くこともできる。
この三毛別羆事件の起きた(旧)三毛別こと苫前町古丹別三渓六線沢に、町民によって作られたのが、三毛別ヒグマ事件復元現地だ。「場所は、国道239号古丹別交差点から北海道道1049号を南に入り約16km、三毛別川に架かるその名も『射止(うちどめ)橋』の先に…
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私が苫前町古丹別での昼食にこだわったのには理由があった。国道239号線の古丹別から枝分かれする、道道1049号線(道道苫前小平線)を南下し、三毛別羆事件復元現地を訪問するためだ。
三毛別羆事件とは、1915年(大正4年)12月にここ苫前町で起きた、世界でも最大規模の熊害事件だ。(ちなみに「熊害」は「ゆうがい」と読む。私は先月までこの言葉と読み方を知らなかった。)今年の8月、フジの奇跡体験!アンビリバボーという番組で紹介され、再度話題になったらしい。私はボルネオにいたから見ていないけれど。
例によって日本語版Wikipediaから引用すると、こうある。
「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん、六線沢熊害事件、苫前羆事件とも)とは、1915年12月9日 - 12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した、国内では特定の動物による最も大きな獣害(じゅうがい)事件。羆が数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7名が死亡、3名の重傷者を出すという被害があった。古くは『羆嵐』(吉村昭)がこの事件をモデルに小説化され大きな話題を呼んだ。」
http://bit.ly/akLf9L
この事件は恐ろしさは、一匹の羆によって7人が命を奪われ3名が重傷となったという被害の大きさだけではなく、2日間/3回に渡っての襲撃という「襲われる恐怖」の中での惨劇だった点にある。他にもいろいろ惨い事実があるのだが、詳細は日本語版Wikipedia「三毛別羆事件」の項を参照して欲しい。あるいは、苫前町のサイトにある「事件の概要」を読むのも手っ取り早い。
http://bit.ly/l0RA3B
この事件は吉村昭によって「羆嵐」というタイトルで小説化され大きな話題を呼び、ラジオドラマやテレビドラマになった。ラジオドラマの方はネットで聞くこともできる。
この三毛別羆事件の起きた(旧)三毛別こと苫前町古丹別三渓六線沢に、町民によって作られたのが、三毛別ヒグマ事件復元現地だ。「場所は、国道239号古丹別交差点から北海道道1049号を南に入り約16km、三毛別川に架かるその名も『射止(うちどめ)橋』の先にある。( http://bit.ly/akLf9L )
苫前町古丹別から復元現地に通じる1049号線は、「苫前小平線」であるにも関わらず小平まではつながっていない。では古丹別からどこまで行けるのかというと、復元現地までだ。これじゃ「道道苫前羆事件復元現地線」ではないかと思うのだが、どうやらこれはほぼ本当で、苫前ではこの道をベアロードと名付けていて、マスコット的サインも作られていた。
あの、この熊すごく可愛いんですけど。
凄惨な事件とイラストの愛らしい熊とのギャップに悩みつつ、ベアーロードを行く。途中見かけたこっちの看板の方が、この地にふさわしい気もしないではない。
旧三毛別である三渓地区に入ると、神社があった。ここには熊害慰霊碑がある。
建立者の大川春義氏は、事件当時7才、三毛別町長のご子息であり、後に熊撃ちの名人と呼ばれた人だ。「犠牲者1人につき10頭の熊を仕留める」と熊撃ちになり、62年をかけ102頭を仕留めた後引退、この地に慰霊碑を建てた。
三渓の集落を更に走る。
この地を縫うように流れるルペシュペナイ川を渡るいくつ目かの橋が、射止橋だ。
「射止橋」の由来
巨熊射殺で最初の被弾地点がこの橋の付近であり、記念して「射止橋」と名付けられた。
それにしても、このイラストはこれでいいのだろうか???
悩みつつも車を走らせる。
やがて2車線の舗装道路から中央線がなくなり、ほどなく舗装もなくなる。
小平まで行かない癖に「北海道道苫前小平線」がどうみてもただの林道に見えてきたら、三毛別羆事件復元現地はもうすぐだ。