世界、大人の社会科見学!

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韓国

2012釜山/光州8 光州・505保安部隊跡の中に入ってみた件

 
「目の前に人ひとりが通れる通路(?)がある」
「とりあえず私の読める文字で『立入り禁止』の表示はない」
「塀の内部には人がいる様子がない」
「なにより私自身が内部を見てみたいと思う」

以上の理由により、私は505保安部隊跡に入ってみることにした。なーに、警備詰所も半廃墟と化しているこんな場所、誰も気にする訳ないんだよ。本気で立ち入り禁止にしたいなら、監視の人間を置くなり、せめて英語で立入禁止の旨をかくなりするだろうし。ちゃちゃっと入ってちゃちゃっと出てくれば、平気だって。

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だから、中で作業をしている人と会ったときにはかなり驚いた。

中では軍人には見えない中年の男性が一輪車を押して何かを運ぶ作業をしていて、目が合った瞬間には脈拍数が倍に増えたと…


 

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「目の前に人ひとりが通れる通路(?)がある」
「とりあえず私の読める文字で『立入り禁止』の表示はない」
「塀の内部には人がいる様子がない」
「なにより私自身が内部を見てみたいと思う」

以上の理由により、私は505保安部隊跡に入ってみることにした。なーに、警備詰所も半廃墟と化しているこんな場所、誰も気にする訳ないんだよ。本気で立ち入り禁止にしたいなら、監視の人間を置くなり、せめて英語で立入禁止の旨をかくなりするだろうし。ちゃちゃっと入ってちゃちゃっと出てくれば、平気だって。

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だから、中で作業をしている人と会ったときにはかなり驚いた。

中では軍人には見えない中年の男性が一輪車を押して何かを運ぶ作業をしていて、目が合った瞬間には脈拍数が倍に増えたと思うのだが、そこは「あんにょんはせよ」位のことを言って笑顔で会釈したら、笑顔の「あんにょん」が返ってきた。どうやら例の塀の隙間から人が出入りすることは、それ程珍しいことじゃないのかもしれない。

塀を入って見えるのは、多分ボイラー室だった建物、武器庫だったと思われる半地下の倉庫、そして2棟の505保安部隊本部跡だ。

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505保安部隊跡は、2009年4月1日の火事で焼けた。

どう考えても廃墟だったはずのこの建物がなぜ焼けたのかと言えば、私のような侵入者がタバコの火か何かをいい加減に捨てた、あたりが正解な気がする。あるいは、ここに拘禁された人が怒りに燃えて火をつけた、なんて可能性もあるのかもしれない。最も(多分)鉄筋コンクリート造りの建物はちょっとやそっとの火事で崩落はしなかった。

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おじゃまします。

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火事の他長期間にわたる半放置の結果、室内外のガラスの多くは割れ床に散乱している。ドアが残っている場所もあるが、鍵がかけられてるものはない。あったのかもしれないが、ほとんど全てが破壊されている。窓ガラスは「残っているものもある」といった感じだ。

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白い建物の裏には、茶色いタイルが貼られたもう一つの建物がある。こちらも内部はぼろぼろだ。

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光州U-TOURPIAによると、505保安部隊跡は、

「地下室で拷問が恣行された場所」
国軍病院では、ここに送られるのが一番恐がられたというほどに、最も残忍な場所だったという。
記念碑がもっとも最近に設置された場所で、5•18歴史的な建物であるにもかかわらず管理を全く受けていなかった。
保安部隊の正門は錠前で閉められていて、接近禁止の表示板があるが、警備室の詰め所から外部の人の出入が自由な状況であった。
史跡地の内部は2009年4月1日に発生した火災で食堂の建物の屋根が崩れ落ち、内部も真っ黒に焦げた。
行政棟の建物または一部の構造物が取り払われ崩れているし窓ガラスは所々が割られている。
尚武台と裁判所が新しく建てられ、その時の状況を再現するための空間としては、ここ505保安部隊の旧跡は、その時当時の痛みをそのまま保存された空間だといえるだろう。

とある。しかし内部は真っ黒ではなかったし、窓ガラスは「所々が残っている」状態だ。何より、この建物からは廃墟特有の朽ち果て感がない。トイレの便器など、つい昨日まで手入れをしながら使っていたかのすら見える。光州事件から32年、この建物をいつまで現役で使っていたのかはわからないが、なんとも生々しい空間だ。

この建物の中で唯一侵入を禁止されているのが、拷問が行われたと言われている地下室だ。 鍵やドアこそ破壊されているが、入口には土嚢が積まれていて、訪問を拒んでいる。

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とは言っても、土嚢を積む人がいれば取り去る人もいるようで、2室あった地下室のうち片方に入る入口の土嚢は、そのいくつかが何者かによって運び出されていて、内部に入ることも不可能ではなかった。

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「ここに送られるのが一番恐がられたというほどに、最も残忍な場所」の中で、最も非人道的な行為が行われたであろう場所。

ちなみに光州事件で「拷問等による死者」という記録を見ることはなかったが、申請数で409人、公式に認定されただけで70名の人が「行方不明」となっている。公式に認定された死者数154名の、おおよそ半分だ。


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