2015 マニラ社会科見学7 "Urban" からパヤタスのゴミ集積場を眺めた件
パヤタスのゴミ処理場北東にあるルパンパンパゴは「約束の地」という意味なのだが、現地では "Urban"(都会)と呼ばれることが多い。
なぜ「約束の地」なのかと言うと、ここは元々政府によって強制退去された貧しい人たちの再定住地だったからだ。ゴミ捨て場もあるにはあったが、集落から2キロ以上離れた場所であり、しかも村から「見下ろす」ことが出来た。しかし、トンドのスモーキーマウンテン閉鎖後運び込まれるゴミの量は急激に増加したらしい。つまりそれまでここは小さな強制退去者の村だったのだ。アーバンのメインストリートであるクレモント通りを歩くと、豊かとは言えないがトンドのスラムとは全く違う印象を受ける。「豊かではないが落ち着いた小さな村」という感じだ。
5ペソとフィリピンでもかなり安めのソフトクリームを食べていると、少しお年を召した女性が話しかけてきた。「この店ががサクラプリンセスというのは、娘さんが日本に渡って暮らしているからなんです」。なるほど、ありそうな話だ。小学校でも、店でも、更にはちょっとした路地の奥でも地元の人が話しかけてくる。NGOなどがたくさん入っている地域なので外国人になれているということもあるのだろうけれど、基本的に人なつっこい人たちなのだな、とも感じる。
1993年には小さなゴミ捨て場だったパヤタスのゴミ集積場は1993年にその規模を拡大し始め、やがて村に隣接する「見上げるような山」となった。少し気をつけて街並みを見ると、後ろにはゴミ捨て場が見える。
村の路地を歩き、ゴミ集積場との境界ある検問所に向かう。パヤタスのゴミ処分場は民間企業なのだが、この中に入るためにはケソン市の許可が必要なのだそうだ。ゲートも前でカメラを取り出すと直ちに係員がやってきて立ち去れと言ってきたが、「中には入らないから少しだけ写真を撮らせてね」と友好的にお願いをすると、「またか」という感じで苦笑いをしていた。まぁ、こういう輩はよく来るんだろう。
少し歩いて、別のゲートに向かう。こちらは今は閉鎖されてるようだ。
今は立ち入りが禁止されているゴミ捨て場だが、以前はこの中にスカベンジャー(ゴミを拾って生計を立てる人たち)のバラックがあった。乱雑に廃棄されたゴミの山は以前から崩落の危険性が指摘されていたが、日々の暮らしに追われるスカペンジャーにとってもゴミ処分から利益を得る企業や関係者にとっても、危険性より日々の収入を優先するのが自然だったのだろう。
1999年に小さな崩落事故があったのにも関わらず放置されていたゴミの山は、2000年7月10日に大規模な崩落事故を起こし、現在までに234人の死亡が確認され未だに85人が行方不明になっている。これは公式の数字であって、一説には犠牲者は400-800人とも言われる。
事件の後、ここで「働く」人たちはゴミ集積場の外から「通勤」してくるようになった。崩落事故のあった現場には「教会」が建てられ、犠牲者を悼んでいる。この裏山には未だに少なくとも85人の犠牲者が埋まったままだ。
ゴミはどこの国でも出るものだし、ゴミの山があるのが何もマニラだけじゃない。ただマニラの場合、お金のかかる高温の焼却炉で焼いてしまうより、ダンプカーから入場料を取ったりゴミの中から換金できるものを拾った方がいろいろな人がお金が得られるという事実もある。いろいろな意見があるところだとは思うが、初めてフィリピンに来た一介の旅行者としては「なるほど、こういう場所なのか」と思うしかない。
ただ、ここに来ることで知識や経験の量が増え、それが旅行者のその後の人生に多少の影響は与えるだろう。個人的には「多くの旅行者が悲劇的な事故のあったこのゴミ集積場を訪問するのは悪いことじゃない」と思う。
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