台湾桃園ベースの旅14 台北二二八紀念館で228事件の顛末を学んだ件
台北近郊で政治犯を収容する監獄であった景美人権文化園区から、戒厳令の引き金ともなった二二八事件を振り返る台北二二八記念館に向かった。景美人権文化園区に最も近い大坪林駅からはMTRで約15分、台北駅からも歩ける距離の場所だ。
日本語版ウィキペディアによると、台湾の二二八事件はこう説明されている。
「二・二八事件(にいにいはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との大規模な抗争。
1947年2月27日、台北市で闇菸草を販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。」
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二二八事件を語ることは、台湾では長い間タブーとされてきた。鎮圧をした国民党が政権を担ってきたのだからそうなるのも無理はない。(もっとも民主化を推し進めた李登輝も国民党の総統であり、時代という要素も大きかったわけだが)まぁ、経緯はこんな感じだ。
・1947年2月27日台北で闇タバコを売っていた女性が当局に摘発され、
・それを見とがめた多くの民衆が抗議に集まり、
・取締官が威嚇射撃をしたところ全く無関係な人に当たり死亡し、
・翌2月28日には大規模な抗議デモとなり、
・憲兵隊はデモ隊に無差別射撃を行い,多くの死傷者が出て、
・その後1987年までしかれた戒厳令のきっかけとなり、
・その間の白色テロで28000人以上の台湾人が殺害された。
台北二二八記念館はかつてラジオ放送局の局舎だった。二二八事件の日デモ隊はここを占拠して闇タバコ取り締まりで起きた事件を台湾に放送し、これが全国的な抗議行動を引き起こすひとつの要因となったため、この放送局舎跡が二二八事件を語り継ぐ施設とされた。とうわけで、館内には当時の放送室を再現した一角がある。
ここにも日本語のオーディオガイドがあるので、中国語や英語が苦手な人は借りない手はない。私もオーディオガイドを首からぶら下げながら、館内を回った。
ここは、建物自体が二二八事件と関わりがあり、犠牲者の遺品などが展示されている以外は、二二八事件を説明して語り継ぐ、そんなパネル・映像展示が主となっている。デモ隊のルートなども展示されているので、ここで確認してから実際の現場を歩くことも悪くない。ちなみに事件のきっかけとなった闇タバコ売りへの暴行が行われたのは「台北市南京西路189號天馬茶房付近」とあり、現在では「二二八事件引爆地」の碑が建っている。
ついでに書くと、wikipediaの解説に「市庁舎」とあった発砲場所は、当時の台湾省専売局台北分局であり、今では彰化銀行の台北分行となっている。個人的にはここを記念館とする手もあったと思う。
ちなみに二二八事件に関する展示館としては、南に1.3km歩いた場所に2011年にオープンした二二八国家記念館がある。名前が紛らわしい上にロケーションも近いので、間違えないようにしたい。
ちなみに国民党の総統でもあった蒋介石はというと、最近では「歴史上の人物」という扱いで桃園から山に入った慈湖エリアにエバーミングされた遺体が安置され、その周辺にはいくつかの関連施設があり現在では公開されている。こちらもいろいろな意味で興味深いので、台湾の近代史に関心のある人は見ておいて損はないと思う。