世界、大人の社会科見学!

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台湾

2016高雄ツーリング10 仏光山からバイクで台湾糖業博物館に向かった件

台湾精糖は日本統治時代の台湾に設立された精糖会社だ。

明治33年(1900年)の日本統治時代に作られた会社で、三井財閥や宮内庁も出資した伝統のある会社だった。もちろん第2次世界大戦後は台湾の会社となるのだが、日本国内にも多くの施設を持っていたこの会社は国内事業を継続し、1950年には再び「台糖」の名を掲げたが、平成17年に新三井製糖などと合併し、日本の「台糖」はその歴史を閉じた。

では台湾に残された工場や施設はどうなったのかというと、これは1946年に台湾国民政府が台湾各地に残された様々な会社の精糖施設を接収し、台湾精糖公司を設立、現在に至っている。精糖業は国策の一部であった時代が終わり既に斜陽産業になったためか、台湾精糖といってももう本業は小売りやバイオ、更にはガソリンスタンド経営が本業のようで、そのトップページからは精糖業の匂いもしない。そんな台湾精糖の廃工場が高雄の郊外にある。

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この台湾精糖高雄工場は、1902年に建てられた。完成当時は橋仔頭製糖所、その後橋頭糖廠と呼ばれ、1999年まで製糖工場として稼働していた。まだ精糖を停止して20年経っていない。そして残された広大な敷地はどうなったのかというと、2001年に橋仔頭糖廠藝術村が進出、2002年に高雄県政府がこの工場を県定古跡に指定し保護の方向性を打ち出し、2006年に台湾精糖博物館としてオープンした。

台湾糖業博物館は高雄駅から北に約20km、地下鉄で30分程の距離にある。地下鉄の橋仔頭糖廠站からすぐで便も良いが、仏光山までバイクの私は、そのまま西に20km程走る。

元製糖工場だけあって、博物館の敷地はそこそこ広い。バイク置き場も、駅側や北の通燕路側などにある。仏光山からやってきた私は、通燕路近くの駐車場にバイクを駐めたのだが、どうもこちらは糖業博物館と言うより、2010年にここに進出してきた打楽器集団「十鼓文創」が主に使う入り口だったようだ。ま、どちらでも問題はないのだけれど。

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台湾糖業博物館の見所は多い。まずは、内部も見学できる製糖工場、精糖のための道具や農機具、パネル展示のある工場や作業所跡、サトウキビや製品を運んだ鉄道施設、そして日本人には興味深い工場長の宿舎など統治時代の建造物、そしてこの地を活動拠点とする打楽器演奏集団の展示や公演など様々だ。北側から入った私は、なんとなくそこにあった案内図に従ったため、まず打楽器演奏集団「十鼓文創」の活動エリアに入りこむことになった。この集団は、ここ以外にも活動拠点を持つらしい。

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ま、正直言えば、私が見たいのは生産を中止した工場や施設類なので、ここで打楽器の演奏を鑑賞したいというわけじゃなし、何より公演のスケジュールが私の訪問時間とは合わなかった。博物館を見学した後にここでパフォーマンスを鑑賞する、という選択肢はありだと思う。しかし今回は工場跡見学を優先させていただこう。

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パフォーマンスを行う建物の脇には線路跡がある。これは当時工場構内を走っていた鉄道の跡だ。とりあえず線路に沿って奥に歩いてみる。

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倉庫。この線路は、工場と倉庫を結んでいたようだ。20年前まで現役だっただけあって、「まだ使えるんじゃないの?」と思えなくもない。

 

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これは、トンネル、ではないな…、と思ったら解説があった。

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砂糖はかつて国策で生産される重要な食料であり、台湾の主要な産業だった。攻撃の対象となっても不思議はない。なるほど、ここには興味深い遺構が多くありそうだ。少し本腰をいれて見学するとしよう。

 

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