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フランス 西ヨーロッパ

2016パリ5 ユゴーの暮らしたアパルトマン「ユゴー記念館」を見学した件

2017/03/25

ベトナムの新宗教であるカオダイ教の寺院に行くと、ユゴーの肖像がある。カオダイ教では、釈迦やムハンマド、キリストに加えユゴーも聖人として崇めているからだ。

他にも孔子、老子、李白、トルストイ、ソクラテス、トルストイなども聖人扱いなのだが、「あらゆる専制を廃し人間性の解放を目指す」フランスのロマン主義文学を代表する「レ・ミゼラブル」や「死刑囚最後の日」などを読めば、教祖であるNgô Minh Chiêu氏がユゴーを聖人とした気持ちは分からないでもない。

特に「レ・ミゼラブル」は物語としての魅力も大きく、多くの人に愛されてきた。私もその一人で、昔から手持ちの電子ブックリーダーには青空文庫からダウンロードした全巻を真っ先に入れたていた位だ。

 

ちなみに一番改造しやすかったのが、カナダに本社を置いていたkoboだ。(改造の詳細はこちら)普通に使ううよりその改造をかなり楽しませてもらったものだ。

スタートにつまづきいろいろよろしくない印象を世間に与えたkoboだけれど、SDを差し替えて容量を非常識に増やしたり、更にはAndroidを走らせることもできそうだった。私には格好のおもちゃだ。

 

いかん、脱線だ。私はこういう改造話が大好きなので、ついつい横道にそれてしまう。話をユゴー記念館に戻そう。

ユゴーは幼少期と亡命期を除き、その82年の生涯の多くをパリで過ごした。その住居の一つが、ここヴォージュ広場にある「ユゴー記念館」だ。

1832年、ユゴーはここで暮らし始めた。1832年と言えばルイ18世に詩を認められ年金を受け取り始め10年目、1829年に戯曲「エルニナ」が大成功し、そして「ノートルダム・ド・パリ」が発表された翌年になる。虚弱な長男こそ亡くしてはいたが、ここに引っ越すまで彼は比較的順調な日々を送っていたように思う。

しかしこの家に住み始めた頃から、ユゴーは妻の不倫を知り、女優ジュリエットを愛人とし、妻を愛したために発狂した兄を自死で亡くし、結婚して間もない長女をも事故で亡くした。更には画家の妻との不倫現場を発見され、貴族院議員の特権で釈放されてもいる。正直「酷い私生活」だと言える。

妻が不倫の時点で離婚すればと思うのだが、フランスでは1975年まで協議離婚が禁止されていた。さすがカトリックの国だ。が、彼の人生は、妻の不倫からおかしくなってしまったのかもしれない。ユゴーの母ソフィは、アデルとの結婚に大反対していた。ソフィには何か感じるものがあったのかもしれないな。

 

それまでユゴーは、極めて妻に誠実な男だったと言われており、一番信じていた妻に裏切られた心中は察するに余りある。その後、1851年ルイナポレオンの弾圧でベルギー・イギリスに亡命する3年前までの時間を、彼はこのアパルトマンで過ごした。「クロード・グー」「リュイ・ブラース」などの多くの作品もここで書かれている。ちなみに亡命時代のユゴーを支えたのも、妻アデルではなく愛人ジュリエットだったらしい。

 

ヴォージュ広場はかつて「ロワイヤル広場」と呼ばれた、パリでも最も古い部類に入る記念広場だ。そしてそのロワイヤル広場を囲むようにいくつかの館が建てられている。ユゴー記念館のあるロアン・ゲメネ館は17世紀に建てられ、19世紀にアパルトマンとして貸し出された。既に経済的に成功していたユゴーとその家族はパリの一等地にあるこの高級アパルトマンに住んだ。

ちなみに「ロアン・ゲメネ」とはフランス・ストラーブルの枢機卿だったらしい。聖職者の癖に金持ちだったんだな。ユゴーも清貧のミリエル神父を描きたくなるわけだ。


 

階段を登るとユゴー一家の暮らしていた部屋だ。7つの部屋があるが、有名なのはこの3部屋だろう。まずは赤のサロン。入り口から二つ目のこの部屋は、ユゴーが来客を招いた場所とも言われている。まぁ、玄関に近いからな。

壁には妻アデルの肖像画が掲げられている。この壁にはかつてアデルの肖像画しかなかったようなのだが、私が訪問した2016年の夏には「アデルの肖像を含むいくつかの絵が掲げられている」状態だった。亡命前のユゴーの暮らしがあった部屋、と言って良いだろう。

 

中華風のサロンもよく知られている。この部屋は、ベルギーに亡命したユゴーが、ルイ・ナポレオンの影響を恐れ再度移動したイギリスのガーンジ島にあったものが復元された。どうしてガーンジ島のサロンが復元されたのかというと、愛人ジュリエットとの暮らしの場であり、そしてあの「レ・ミゼラブル」が書かれた部屋でもあるからだ。愛人と言っても、20年近くの亡命生活を支えたのはジュリエットであり、部屋には二人のイニシャルが刻まれてるらしい。

かなり微妙な中華趣味なのだが、ロマン派にはオリエンタリズムを好む傾向もあったので、突っ込まないであげて欲しい。しかし、正直、私が魂を揺さぶられた「レ・ミゼラブル」が、愛人と暮らすこんな微妙な部屋で書かれたとは知りたくなかったかもしれない。それはさておき、ここは亡命中の生活を復元した部屋だ。

 

そして最後はこの部屋。パリ16区のエイロー通りにあった、亡命生活を終えパリに戻ったユゴーの寝室を復元した部屋だ。1870年の普仏戦争でユゴーを弾圧(するかもしれなかった)ルイ・ナポレオンは敗北し、ユゴーは亡命先のガーンジ島から帰国し、この部屋に移り住んだ。晩年、帰国後の暮らしを知る部屋と言って良い。ユゴーは肺炎で亡くなっているので、もしかしたらこの部屋がユゴーがなくなった部屋なのかもしれない。まぁ、復元なんですけど。

ユゴーについては、知れば知るほど、その美しい作品と混迷する私生活とのギャップに頭を抱えることになる。亡命生活を支えたジュリエットといたときでさえ、いろいろスキャンダラスな話があったというのだから少しばっかりは「なんだかなぁ」なのだが、国王年金を受け、貴族院議員になり、子爵となり、83歳でなくなった時には国葬で送られパンテオンの霊廟に祀られたのだから、社会的にはそこそこ成功した、と言って良い。

芸術は人が生み出す。例え生み出した人の生活が怪しげであったとしても、作品の価値にはなんら関係はない。芸術家の奇行にはいろいろ有名な話があり、それに比べたらユゴーなどは「次々に襲いかかる不幸と戦い、苦悩に負けず素晴らしい作品を生み出した詩人、作家」だと素直に言える。

登場人物に裏表がなく理想的過ぎたり、考証が不十分な記述も少なくないようで、アンチユゴーの人たちを生み出す程なのだが、それだけユゴーの存在と影響力が大きかった、ということだろう。

特に登場人物の人格が理想的過ぎることについては「おめーはだらしなかった癖に」的なツッコミもあっただろうし、「人間を描き切れてない」という真っ当な批評もありえる。

しかし、多分、だ、ユゴーがミリエル神父や「G」、そしてジャンバルジャンやマリウスのような純粋な魂を描いたのは、自分の揺らぎ続けた人生があったからこそ、なのかもしれない。テナルデたちはその裏返し、だな。光と闇は裏表、その両方があって世界が出来ている。

余計なことをうだうだ書いてしまったが、私が高校時代に「銀の燭台の話」としか思っていなかった「レ・ミゼラブル」を読んで受けた感銘は今も消えないし、ユゴーは優れた詩人であり作家だと思う。そこで今回のパリは、ユゴーと「レ・ミゼラブル」をテーマに街を歩いてみることにした。

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