世界、大人の社会科見学!

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フランス 西ヨーロッパ

2016パリ8 レ・ミゼラブルのパリ① マレ地区界隈のバスティーユとサンポール教会

2017/03/25

さて、ここからはレ・ミゼラブルの舞台を探すパリ散策となる。もちろん足は24時間1.7€のVelibだ。

世界中で愛された名作だけあって、その舞台を紹介するサイトは、フランス語版はもちろん英語や日本語、各国語のものが見つかるので、エピソードの舞台を探すのはそんなに難しいことではない。ただ、物語が書かれたのが19世紀であるため、今とは街の作りが変わってしまっている場所も少なくない。

もともとフィクションなのだから、細かいことを言うのは野暮というものなのだけれど、ユゴーが物語の背景と考えた場所を見て回るのは、愛読者にとってはなかなか楽しい。というわけで、まずはユゴーの住んだ家に近い、バスチーユ広場に向かう。移動距離はほんの550mだ。

この広場にはかつてバスティーユ監獄があり、その襲撃事件をきっかけにフランス革命が起こったと言ってもよい。できの悪い中学生だった私は「火縄く(1789)すぶるバスチーユ」とフランス革命の起きた年を覚えたものだ。

 


レ・ミゼラブルでもこのバスティーユ広場は何度も登場する。

「余事ではあるがここに一言ことわっておくのを許してもらいたい。われわれはただありのままの事実を話しているのである。そして、軽罪裁判所で、浮浪ならびに公共建築物破壊の名の下に、バスティーユの象の中に寝てるところを押さえられたひとりの子供が裁かれたのは、今から二十年前のことであった。」 (レ・ミゼラブル「抒情詩と叙事詩」)

1813年から1846年までの間、バスティーユには象のモニュメントがあった。それはナポレオンの案による高さ24メートルにも及ぶ石膏像で、テナルデの息子ガヴローシュが雨風をしのいで寝泊まりしていた、とされる場所だ。今では7月革命を記念する塔に置き換えられている。

「しかしそれは、父も母もなくパンも着物も住居もない一少年を、寒気や霜や霰や雨などから救い、冬の朔風からまもり、熱を起こさせる泥中の睡眠から防ぎ、死を招く雪中の睡眠から防ぐの用に立った。」 (レ・ミゼラブル「抒情詩と叙事詩」)

広場には、バスティーユ監獄襲撃とその前後の歴史についてのパネルが展示されていて、中にはユゴーについて言及したものもある。まぁ、世界史の重要な舞台でもあるもんな。

 

 

そしてバスティーユ広場からユゴーの家を経由するように西に1.3㎞程行くと、サン・ポール サン・ルイ教会がある。


ここはマリユスとコゼットが結婚式を挙げたとされる場所だ。

「サン・タントアーヌ街のサン・ポール教会堂の前には、多くの人が立ち止まって、コゼットの頭の上に震える橙花を馬車のガラス戸越しにながめていた」(レ・ミゼラブル「ジャン・バルジャン」)

ここにはユゴーの寄贈した貝殻なども置いてある。ヴォージュ広場のアパルトマン(ユゴー記念館)に住んでいたころの贈答品らしい。アパルトマンから一番近い教会だったもんな。亡命先のガーンジ島でレミゼラブルを書いたとき、コゼットとマリユスの結婚式は、思い出深いこの教会にしたかったのだろう。

ちなみに最終章である「ジャンバルジャン」に、コゼットとマリユスに関するこんな記述がある。

「一八三三年二月十六日から十七日へかけた夜は、祝福されたる夜であった。夜の影の上には天が開けていた。マリユスとコゼットとの結婚の夜だった。その日は実に麗しい一日だった。それは祖父が夢想したような空色の祝典ではなく、新郎新婦の頭上に天使や愛の神が飛び回る夢幻的な祝いではなく、門の上に美しい彫刻帯をつけるのにふさわしい結婚ではなかった。しかしそれは楽しい微笑んでる一日だった。」(レ・ミゼラブル「ジャン・バルジャン」)

見出しにまで妙に具体的な日付があるこの一節については、ユゴーが愛人のジュリエットと初めて結ばれた日を想って書かれた、という説がある。そりゃ、離婚が普通ではない時代に妻の不倫で悩んだとはいえ、正直あまり知りたくなかった。

物語は美しいのに、出版早々「世界一短い手紙」で売れ行きを心配したり、愛人との記念日を物語の重要人物に託したり、先にも書いたけれど、ユゴーって結構俗だよなぁ。

 

更にサンポール教会から北西に400m程行くと、テナルデが収監されていたラ・フォルス刑務所があった。

このラ・フォルス刑務所は、フランス革命直後にあの「マダムタッソー」ことマリータッソーも収監されていた。彼女がギロチンを逃れたのはその蝋細工の技術のためで、ルイ16世や知人を含むギロチンの犠牲者のデスマスクを作る仕事をさせられていたらしい。そりゃロンドンに逃げたら蝋人形館に「恐怖の部屋」を作りたくもなるよなあ。

刑務所はもう廃止されていて、今では記念碑が立っているだけだ。

 

そして、ここでは何かレアなポケモンも出るようだ。

2016年の夏、ポケモンGO!はフランスでも大流行していた。その後登場したポケモンGO Plusは、発売されては売り切れを繰り返していたが、最近ではそういうこともなくなっってきたらしい。仮にもスマホを使う世代の人間がこんな形状のデバイスを使うのはどんなもんなのか、と思わないでもないのだが、個人の趣味に口を出す気はない。実際品薄になるほど売れたのだから、私のほうが少数派なのかもしれないな。
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