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韓国

2016大邱10 下町の路地を歩きサムソン発祥の地である三星商会跡を眺めた件

2017/08/02

そろそろ達城公園から大邱駅裏の宿に戻る時間だが、せっかくの初めての街、たかだか2kmをバスに乗るのはちょっともったいない。

実は大邱には ”大邱下町歴史散策路(Daegu Downtowm Heritage tour)” なるものがある。

出発前にネットで情報収集していたときには分からなかったのだが、市内の通りや路地を結ぶ5つの散策コースがあり、市内のところどころに看板が出ている。帰路は、このうち達城公園から大邱駅方向に行く1番ルートを歩いてみることにした。ちなみに往路は、おおよそ2番ルートと3番ルートに沿って歩いてきたようだった。まぁ、名所をつなぐと、そうなるだろう。

そしてこの1番ルートの最大の見所は、韓国最大の財閥であるサムスン発祥の地である三星商会跡だ。

三星商会は創業者のイ・ビンチョルが馬山での精米事業に失敗したあと1938年に立ち上げた二つ目の会社で、当時は魚や麻、木綿を売っていた。サムスンはここから始まったと言って良い。その後アジア通貨危機からギャラクシーノート7の発火事件に至るまで様々なな困難に遭遇しつつも、未だ韓国最大の財閥として君臨している。

三星商会の建物は1997年までは残されていたが、老朽化のため解体された。解体前の様子は、隣接するビルに写真パネルが掲示されている。1階の小商店群がなんとも味わいがあるが、多分サムスンとは関係のない場所を借りているだけの店なのだろう。この店がサムスン直営だったら、かなりすごいことなんだが。

実はサムスンは解体した建材を全て保管しており、それを使って大邱創造経済団地という場所に、この建物を復元するらしい。2年前に着工されたようなので、そろそろ結構形が見えてきてるかもしれない。店があった場所には、上のモニュメントと写真、そして復元模型が置かれている。

韓国の財閥は政府による保護政策の下で発展してきた。国作りの課程で政府が財閥を保護し利用することは良くある話で、日本だってそうだった。ただ、日本の財閥はとりあえず解体されたけれど、韓国の財閥は通貨危機でIMFの管理下にあったとき一部が解体されただけで、本質的な構造は変わっていない。良くも悪くも、財閥は韓国経済を牽引してきた。そんな韓国「財閥」の原点がここにある。

 

韓国は日本など比べものにならない競争社会だ。激しい受験競争になんとか勝ち残れば、全就労人口の7%以下と言われる財閥に就職するチャンスがある。しかしそのためには2万人の募集に40万人が応募とか、1200人の募集に10万人が応募(これは現代自動車)とか、うんざりするような競争を勝ち抜かなければならない。サムソンに就職するために塾通いをする大学生だっているのだ。

しかし一流大学を卒業し財閥に入社したとしても、その人生は安泰ではない。財閥の内部でも激しい競争社会はそのままであり、結果を残せない人は会社を去る。韓国で流行しているフライドチキンのフランチャイズチェーンは、そういった人たちの受け皿として発展しているという話が、最近日本でも報じられた。

今や韓国のフライドチキン店は6万店と、日本のラーメン店(3万5千店)より多いという。基本会社だけが太るフランチャイズビジネスに一か八かで出資して6万店が溢れる市場に参入しようとか、元エリートの選択肢とは思えないのだが、他に選択肢がないのだろうか。一部を除き、戦っても戦っても最終的には敗者となる、そんな社会システムをヘル朝鮮と呼ぶ韓国人も少なくないようだ。私は、普通の人が普通に暮らせる社会がいいけれど、日本も最近は怪しいよな。

 

三星商会跡から少し歩くと、サムスン創業者である李秉喆(イ・ビョンチョル)の住居跡がある。

ここに住んでいたときビンチョルは、まさか自分の会社の製品が世界中の航空機からひきずりおろされるとは想像もしなかっただろう。ギャラクシーノート7による損害は、直接的な金額だけでも26億ドル(≒2894億円)、ブランドイメージなどを考慮するとその数倍から数十倍といわれるが、サムスンは未だ生き残っている。正直すごい、と思う。バッテリーの責任者は、今どこでチキンを売っているのだろう。


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