世界、大人の社会科見学!

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フランス 西ヨーロッパ

2016パリ2 14区の裏名所カタコンブ・ド・パリで、600万の遺骨と対面した件

2017/03/25

私の泊まった13区のイビスから、目の前のトルビアック通りを30分程西に歩くと、14区に入る。約2.5k程の距離だ。14区にはアーチストが多く集まったモンパルナスの街や、パリ天文台、そしてサルトルやボーボワールなどの著名人が眠るモンパルナス墓地があり、カタコンブ・ド・パリもここにある。

カタコンブとは”Catacombe”、イタリア語読みで「カタコンベ」と言った方がピンと来る人は多いかもしれない。もともとはローマのサン セバスティアーノ聖堂の地下埋葬場のことだったらしいのだが、今では一般に地下洞窟の埋葬場を指す言葉になっている。

ここは元からカタコンベだった訳ではない。かつて採石場だった地下空間に、1785年に閉鎖されたイノサン墓地などから遺骨が運び込まれ、今の姿になった。イノサン墓地はパリ最大の墓地であったが街の中心部にあり、そして周辺の環境は劣悪だったらしい。16世紀には既に医師が墓地の衛生状態と疫病の危険性を指摘し、墓地に隣接するワイン蔵では石灰を撒くことが決められ、しかしそれでもこの土地は「ワインは一週間たたないうちに酸っぱくなり、食べ物が数日で駄目になる。井戸水は腐敗した物質で汚染されており、消費するにはますます不向きである」と述べている。

そんな劣悪な衛生状況を改善するため、19世紀初頭にはモンマルトル、ペール・ラシェーズ、パッシー、少し遅れてモンパルナスなどの墓地が作られ、既に埋葬されていた遺骨が、14区の採石場跡に改葬された。それが、カタコンブ・ド・パリだ。オスマンのパリ改造の一環と言っても良い。カタコンブ・ド・パリは、1788年4月に奉献式が行われ正式に地下共同墓地として運用されるまで、パリの共同墓地からカタコンブまでは、1年3ヶ月の間、黒い布で覆われた馬車の行列が聖歌を歌う聖職者によって率いられたという。どれだけの遺骨だったのかと言えば、600万柱だ。

日常世界とは全く違う光景を見せるカタコンブ・ド・パリは、当然のように人々の好奇心の対象となる。奉献式より前にここを見学する人たちが現れるのだが、1810年から工事を担当したルイ・エティエンヌがこの場所を訪問可能な霊廟として整備をしたために「一種変わった観光地」的な場所となり、オーストラリア皇帝やナポレオン3世、ビスマルクなども訪れた。何度か訪問できない時期もあったが、現在ここはパリの市営納骨堂として、また歴史博物館として一般に公開されている。

華やかなパリとしてはやや異質の見学スポットなのだが、ここの人気は高い。公開時間は朝10時から午後8時30分までなのだが、同時に内部に入れる人数の上限は200人までで、かなり混雑する。10時にチケット売り場に到着したのでは遅いと聞き、私は9時に現地に行ってみた。メトロを使うなら、Denfert-Rochereauのすぐそばだ。

9時の時点で結構な行列だ。10時ころにはどどっと200人くらい続けて中に入り列も短くなるのでは、と期待したのだが、全然そういうことはなく、数百人の行列はうんざりするほどじわじわとしか進まない。整理券を配るという話も聞いていたのだが、そんな様子もない。結局、列の最終尾についてチケット売り場に着くまで2時間程かかった。あと30分早くくればよかったなぁ、だ。

 

7ユーロを支払い、カタコンベに入る。しかしいきなり遺骨とご対面、ということにはならず、カタコンブの背景と歴史を解説したパネルを見ることになる。

 

そして地下通路。ここはまだ納骨堂ではない。

 

ちなみに、納骨堂、バックパックを背中に背負うこと、フラッシュ撮影、遺骨に触ることは禁止だ。

 

 

少し歩くと納骨堂となる。遺骨が苦手な方は、ここでブラウザを閉じた方が良いかもしれないな。ここから10枚以上、遺骨の画像が続く。

 

正直、遺骨を組み合わせて何かを描く、という行為に、日本で生まれ育った自分としては若干の違和感を抱く。インドネシアのトラジャで墳墓群を見学した時、「遺骨は全てキリスト教徒のもので、イスラム教徒や仏教とは遺骨を地中に埋めている」と聞いたことを思い出す。

キリスト教徒にとって亡骸はモノであるという話は良く聞くけれど、正直ここまで「見られるためもの」していいのか、と思うのだ。また、キリスト教徒でも「復活の日に遺体に魂が戻る」説も聞いたこともあり、だとしたら、こんなことしてちゃまずいだろ、と思わないでもない。キリスト教にもいろいろありそうだし、なによりまぁ文化の問題なので、旅行者が口を挟む筋合いはない。

ちなみにカタコンブが正式に開かれのは1788年、フランス革命の前年だ。その前哨戦とも言えるクレーブ広場などでの暴動の死者も、実はここに運び込まれている。同様に、特定されていない著名人の遺骨もここには多く納骨されている。ルイ14世の財務卿も、革命政権で恐怖政治を行ったロスピエールも、ここのどこかで眠っているらしい。ある意味極めて民主的、だな。

 

平均深度地下20メートルのカタコンブは、約1.7km続く。内部は一方通行となっていて、迷うことはない。気持ちが遺骨になれてきた頃には、出口にたどり着く。

 

見学を終えた地点に売店がある、というレイアウトは、まさしく博物館のそれだ。

カタコンベ、あるいは地下の公共集団墓地、あるいは納骨堂は世界のあちこちにある。しかし遺骨が600万柱という規模のものは、私はカタコンブ・ド・パリしか知らない。多分ここは世界最大の地下納骨堂なのだろうと思う。単純に物珍しさで行くのも全然悪くはないのだが、カタコンブが作られた1788年のパリについて少しだけ予習しておくと、見学はより興味深くなると思う。

そしてもうひとつ、チケットを買う行列に並ぶ前に、トイレは済ませておいた方が良い。行列の周辺に公衆トレイはなく、緊急の場合は近くのカフェのトイレを借りるしかないのだ。秀逸な非常用トイレセットを持っていても、人目を遮る場所はないので、使う場所はない。カフェでコーヒーを頼んで2ユーロ、もちろんトイレを済ませたらすぐ「すぐ戻ってきます」と言ってきた行列に戻らざるをえず、少しもったいない。


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