2016パリ19 レンヌ/モンサンミッシェル2泊3日⑤ ユゴーが復旧に尽力した修道院をしげしげと眺めた件
モンサンミッシェルのグランドリューを、寄り道をしながら歩く。
この「車の通らない細い道と飲食店や土産物屋のコンビ」は、観光ビジネス的に最強の組み合わせなのかもしれない。私的な最近としては重慶の磁器口古鎮、台湾の九フンや観光夜市、ダマスカスやアレッポのスーク、柏の二番街…、どこも車が入ってこないしほどほどの狭さが歩いての買い物をゆっくりと楽しいものにしてくれる。
上り坂の大通りだらだら歩いていると、やがて修道院の入口が見える。
入場料10ユーロ。さすがの私もここで引き返すことはない。ちなみに修道院や博物館以外の場所を散歩するだけならお金はかからない。島内や対岸に泊まる人は、グランドリューやその周辺を何度も歩くのだろうな。
Les Merveilleuses。 豊島 与志雄風に訳すと「ああ、素晴らしい」。Merveilleuses は英語だと marvellous、マーベラス、だな。驚愕のニュアンスを含んだ素晴らしい、になる。岩の上にこれを立てたことも素晴らしいけれど、回廊などが生活空間として極めて秀逸なのも素晴らしい。
修道士たちの食堂。質素な食事から豪華な晩餐まで、なんでも似合いそうな部屋だ。
応接室。かつてここを訪れた国王や貴族を迎えた部屋。
下部の礼拝堂。大聖堂を支える土台にはいくつかの礼拝堂がある、その一つ。
高い場所に荷物をつり上げるための滑車。
南側から見た姿が最も印象的なモンサンミッシェルだが、北側からは干潟になったサンマロ湾が見渡せ、これもなかなか面白い。こんな感じじゃ、確かに砂嘴に砂もたまるだろう。
モンサンミッシェルには時代により様々な歴史がある。
13世紀にはおおよそ現在の形ができあがっていたのだが、百年戦争の際には英仏海峡の要塞として軍事拠点となり、またフランス革命から1863年までは国の刑務所として使われてきた。長い間監獄として使われてきたモンサンミッシェルは荒廃したが、その後ビクトル・ユゴーがナポレオン3世に働きかけここを復興させ、1865年には再び修道院が復元された。
モンサンミッシェルも、ノートルダム同様、ユゴーによって復興していた。もしかしたらこの人、古いものが朽ちていくのを見るのが嫌だったのかもしれないな。
今では大勢の観光客や巡礼者が訪れる世界遺産で、オムレツのディナーが75ユーロもする盛況ぶり。ユゴーもオベール司教も、そして大天使ミカエルも喜んでいるかもしれない。
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