トゥールスレーン収容所 - プノンペン/カンボジア(2006.9-10 父一人旅アジア周遊16)
プノンペンの最大の見学地といえば、当然トゥールスレーン収容所跡だ。ここを観光ポイント等とと書くのはあまりに辛い。「見学地」という言葉も適切かどうかまだ迷う。
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トゥールスレーン収容所 - プノンペン/カンボジア
(2006.9-10 父一人旅アジア周遊16)
プノンペンの最大の見学地といえば、当然トゥールスレーン収容所跡だ。ここを観光ポイント等とと書くのはあまりに辛い。「見学地」という言葉も適切かどうかまだ迷う。
トゥールスレーン収容所は、1975年から79年までカンボジアを支配したホルポト政権(いわゆるクメールルージュ)が収容所として使用した元学校の建物で、現在は「トゥールスレン虐殺博物館」と呼ばれている。
「トゥールスレン」というのは単なる地名だ。主に「政治犯」を収容、拷問、そして処刑の地へ送り込むための施設であり、当然その存在は秘密にされていたため、正式名称はなかった。当時は "S21" という暗号名で呼ばれていたらしい。ここにはおよそ20000人程度が収容され、生きて外に出ることが出来たのは6~7人だったと言われている。
1979年1月7日、ベトナム軍のプノンペン陥落によりこの施設は発見されたが、そこには最後の14人の犠牲者がおり、その人たちは施設内に埋葬されている。陥落直前に虐殺されたらしい。口封じのつもりだったのかもしれない。
また、遺体が発見された部屋も開放されていて、その部屋には発見時の様子の写真パネルが展示されている。(写真左上) 極めて陰惨だ。
この広い部屋は、犠牲者を拷問したり処刑したりするのに使われた。実際の独房はもっと狭く暗い。確実にやってくる死をここで待たされた人たちの事を思うとかなりきつい。
収容所の中には、他にも拷問に使われた道具やその様子を描いた絵、関係者の証言、そしてここに収容された人たちの数多くの写真も展示してある。私はそれらも一度は撮影したのだが、これから殺されていく人たちの表情を写した写真を見て、これは撮影してはいけないと感じ削除した。
別に禁止されている訳でもないし、これらの写真を素材に優れた作品を作った写真家もいる。しかし私には自分のデジタルカメラに犠牲者の表情を入れて持ち歩く覚悟はできなかったのだ。関心がある人はこのサイト、あるいはこのサイトで、たくさんの画像を見ることができる。
犠牲者の中には幼い子どもや親子もいる。彼らは「自分は帝国主義者の手先だった」と「自白」することでしか拷問を逃れる術はなかった。もちろん拷問を逃れた後に待ち受けているのは理不尽な死だ。処刑は当初は収容所内で行われたらしいが、やがて「キリングフィールド」と呼ばれる場所で行われるようになる。昔学校だった狭い敷地に万単位の犠牲者を埋葬することなど不可能だったのだ。
プノンペンに来る多くの人がこの収容所を見学する。
そして、20世紀後半に、日本から飛行機でたかだか5~6時間程度の場所で、このような残虐なことが行われていたという事実に愕然とする。「見て良かった」と思うかどうかは人それぞれだろうが、私はできれば多くの人に見て欲しいと思う。そして「権力とは何か」「国・政治とは何か」など、何かを感じて欲しいとも思う。猜疑心いっぱいの小心者が権力を持つと、こういう事になることもあるようだ。
入場料は2ドルの施設だ。しかし少なくとも50ドル分は鬱になる。
そして100ドル分位、いろいろな事を考えさせられるはずだ。
詳細な経緯が知りたい人には、エール大学の調査プロジェクト報告もある。英語なので多少面倒だけれど、Web翻訳サービスを使って読むという手もある。
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