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ホテルおおるり 香港・深セン

魔都香港の誘惑3 禁区中英街にアクセスする、その1

2019/03/19

 
分かる人はほとんどいないとは思うが、これは「魔都香港の誘惑2」の続きだ。前回は未だにがらがらの深セン湾イミグレとそこへのアクセスについて書いた。これは深センの南西臨海観光エリアに行くには、ベストの方法だ。

matohongkongweb2.gif

深センに着いたら、観光なら錦繍中華/中国民俗文化村を見るのもなかなか楽しいし、ロシアの有名な空母を買い取って造ったMinsk World "明思克航母世界"を見るのも興味深い。街歩きが好きな人なら、地下鉄で深セン駅から一駅の東門老街などもべただが面白いと思う。

ちょっとディープなPC/電子製品マニアなら、ぜひ華強路の電脳街を見て欲しい。香港シャムスイポにはなくなってしまった無法・混沌がまだここには残っている。

何だったらホテル代の高い香港に戻らず、深センで1泊するのも良い。香港では最低500HK$は出さないとまともなホテルには泊まれないが、深センのホテルなら200人民元程度でそこそこのホテルに泊まることができる。同じクラスで半額以下だと考えて間違いない。私は深センに泊まって香港に観光に通ったこともある。

さて、そして深セン/香港で最もディープなエリアと言えば、塩田区、沙頭角にある中英街だ。


大きな地図で見る

sinsen_205bus.gif

冷戦時代、一つの街が東西に分かれたと言えばベルリンが有名だが、実はここにも東西に分かれた街が会ったのだ。それが沙頭角だ。このエリアの中でまさに中国と英領香港の境界線上にあったのが中英街だ。詳細はここに詳しい。googlemapでも、大きな縮尺ではある程度の地図が表示されるが、縮尺をあげるといきなり表示が空白になるという、微妙な……

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分かる人はほとんどいないとは思うが、これは「魔都香港の誘惑2」の続きだ。前回は未だにがらがらの深セン湾イミグレとそこへのアクセスについて書いた。これは深センの南西臨海観光エリアに行くには、ベストの方法だ。

matohongkongweb2.gif

深センに着いたら、観光なら錦繍中華/中国民俗文化村を見るのもなかなか楽しいし、ロシアの有名な空母を買い取って造ったMinsk World "明思克航母世界"を見るのも興味深い。街歩きが好きな人なら、地下鉄で深セン駅から一駅の東門老街などもべただが面白いと思う。

ちょっとディープなPC/電子製品マニアなら、ぜひ華強路の電脳街を見て欲しい。香港シャムスイポにはなくなってしまった無法・混沌がまだここには残っている。


大きな地図で見る

何だったらホテル代の高い香港に戻らず、深センで1泊するのも良い。香港では最低500HK$は出さないとまともなホテルには泊まれないが、深センのホテルなら200人民元程度でそこそこのホテルに泊まることができる。同じクラスで半額から3分の1以下が相場だと考えて間違いない。私は深センに泊まって香港に観光に通ったこともある。

そして深セン/香港で最もディープなエリアと言えば、塩田区、沙頭角にある中英街だ。


大きな地図で見る

冷戦時代、一つの街が東西に分かれたと言えばベルリンが有名だが、実はここにも東西に分かれた街が会ったのだ。それが沙頭角だ。このエリアの中でまさに中国と英領香港の境界線上にあったのが中英街だ。詳細はここに詳しい。googlemapでも、大きな縮尺ではある程度の地図が表示されるが、縮尺をあげるといきなり表示が空白になるという、微妙な地域なのだ。

この世界飛び地研究会共同警備区域が、沙頭角・中英街について日本語で最も詳しい記述がされているサイトだと思う。一部を引用しよう。

沙頭角の真中に国境が引かれたのは洪水のせいだ。香港島と九龍半島を植民地にしていたイギリスが1898年に九龍の北側の新界地区を清朝から租借した際に、西側では深セン河、東側では沙頭角河を境界線とすることを決めた。もともと沙頭角は河口に面した市場町だったが、その数年前に洪水が起きて、川の流れは東側に移動していた。それでも中英両国は元の川の流れを境界線に決めたのだが、結局その後沙頭角河は再びもとの流れに戻らなかったので、川が通っていた場所は干上がり、「中英街」という道になったということ。
もっとも当時、中国と香港との間は住民が自由に行き来できたので、街が2つの国に分かれても生活にはさして影響はなかった。ところが1949年、中国に共産党政権が成立すると、中国と香港の国境は翌年閉鎖されてしまい、相互の行き来には出入国手続きが必要になる。街が二分されていた沙頭角では引き続き自由な往来が認められたが、そのかわり街を囲んで壁が作られた。当初、沙頭角は中英双方が共同警備していて警官は国境線に関係なくパトロールしていたが、文化大革命さなかの67年には紅衛兵の反英デモをきっかけに、中国の警備隊と香港の警官隊が衝突して死傷者が出る事件が発生。以後パトロールは「中英街」を境に分担して行われるようになった。80年代末になると中国は自国観光客の沙頭角への立ち入りを認めるようになり、沙頭角は中国人が香港製品を直接買える場所、とりわけ金製品を安く買える場所として人気を呼び、大勢の買い物客で賑わうようになった。

1997年に香港が中国へ返還されたことで、街を二分していた国境線は消滅したのだが、特別行政区となった香港へ中国人が自由に出入りできないのは返還前と全く同じで、境界線もそのままだ。沙頭角の街を囲む壁や柵も全く変わらないまま残っている。ただ、最近では中国で為替規制が大幅に緩和され、中国国内でも香港や外国製品が自由に買えるようになったので、中英街の賑わいもだいぶかげりが出ているようだ。「密輸防止のため」と中英街では80年代から夜間外出禁止令が実施されていたが、2003年には撤廃されている。
(世界飛び地研究会、共同警備区、沙頭角より)

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日本のパスポートは強力で、世界のかなりのエリアに入ることができるが、この中英街エリアはどうあがいても入ることのできない場所の一つだ。

しかし蛇の道は蛇であって、実は何人もの日本人がこの地区に入っている。飛び地研究会のサイトにも他のサイトにも内部の写真があることから、それは容易に想像がつく。香港側からは絶対に不可能だが、中国側からなら、ちょっとリスクを冒せば入れないこともない。非合法だが。

この興味深い沙頭角へは、深センの駅前から簡単にバスで行くことができるし、実は沙頭角の出入国管理事務所から香港に戻る事もできるようになっている。不法に中英街に入らず、中国側の沙頭角を散歩し禁区を覗き見して沙頭角経由で香港に戻るのが、最も賢明な沙頭角・中英街観光のスタイルだ。

沙頭角は深センの塩田区にある。

深セン(羅湖)駅前、羅湖駅を背に右側、中距離バスターミナルの入っているビルの先に、深センの市内バス乗り場がある。ここで205番のバスに乗る。

sinsen_205bus.gif

sinsen_205Busroute.gif

運賃は2元。目的地は沙頭角保税区になると思う。バスは深センの街中を東に抜け、やがていくつかトンネルに入る。気をつけて見ると一番長いトンネルのある山の上には要塞状の小さな建物が見えるはずだ。

sinsen205bustonneru.gif

やがてバスは沙頭角に入る。沙頭角自体は禁区ではなく、この中の中英街エリアだけが禁句なのだ。

やがて道路の右側に沙頭角の出入国事務所が見える。緑色の「往香港」の看板が目印だ。この辺でバスを降りれば、沙頭角観光には都合が良い。目指すのはもちろんもう一つの緑の表示、「往沙頭角鎮内」の方向だ。

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