江陵・統一安保公園、北の潜水艦を見る2、北の潜水艦の内部1
なぜ江陵に北の潜水艦が展示してあるのか。
事件は1996年9月に起きた。現在は江陵浸透作戦と呼ばれることが多い。いきなりだが、日本語版wikipediaから引用する。
江陵浸透事件(カンヌンしんとうじけん)は、韓国の江原道江陵市において、韓国内に進入していた工作員を回収しにきた北の特殊潜水艦(サンオ型潜水艦)が座礁し、帰国手段を失った乗組員と工作員計26名が韓国内に逃亡・潜伏した事件。
事件は1996年9月18日に発覚し、韓国は軍・警察を動員しての掃討作戦を開始した。1996年11月7日に掃討作戦は終了。北側の被害は、逮捕1名、射殺13名、集団自決11名、行方不明1名とされる。韓国側の被害としては、軍人13名、民間人6名が死亡している。また、韓国当局は座礁した潜水艦からRPG-7、対戦車手榴弾などの火器類、地図、偵察用カメラなど計327種4012点を押収した。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/江陵浸透事件 より引用、一部書き換え)
それがこの潜水艦だ。
証拠隠滅のため、潜水艦は工作員によってリモコンで爆破されたが、かなりが焼け残り韓国の手に渡った。展示されている艦内は、かなりが補修されているが、事件当時の艦内はこんな感じだったらしい。
艦内は狭いため、ヘルメットを被って中に入る。
ここが工作員の出入り口だ。どういう思いでこの穴から海中に……
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なぜ江陵に北の潜水艦が展示してあるのか。
事件は1996年9月に起きた。現在は江陵浸透作戦と呼ばれることが多い。いきなりだが、日本語版wikipediaから引用する。
江陵浸透事件(カンヌンしんとうじけん)は、韓国の江原道江陵市において、韓国内に進入していた工作員を回収しにきた北の特殊潜水艦(サンオ型潜水艦)が座礁し、帰国手段を失った乗組員と工作員計26名が韓国内に逃亡・潜伏した事件。
事件は1996年9月18日に発覚し、韓国は軍・警察を動員しての掃討作戦を開始した。1996年11月7日に掃討作戦は終了。北側の被害は、逮捕1名、射殺13名、集団自決11名、行方不明1名とされる。韓国側の被害としては、軍人13名、民間人6名が死亡している。また、韓国当局は座礁した潜水艦からRPG-7、対戦車手榴弾などの火器類、地図、偵察用カメラなど計327種4012点を押収した。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/江陵浸透事件 より引用、一部書き換え)
それがこの潜水艦だ。
証拠隠滅のため、潜水艦は工作員によってリモコンで爆破されたが、かなりが焼け残り韓国の手に渡った。展示されている艦内は、かなりが補修されているが、事件当時の艦内はこんな感じだったらしい。
艦内は狭いため、ヘルメットを被って中に入る。
ここが工作員の出入り口だ。
どういう思いでこの穴から海中に出たのだろう。
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艦内はとにかく狭い。
潜水艦自体の長さは35m/幅3.5mだが、内部の幅は2m強だ。最大の空間でも2x5m程度だろうか。こんな船に25人も詰め込まれたいたというのだから、閉所に弱い私としては身震いがする。
船尾近くにあったトイレ。
透明パネルが設置してありうまく撮影できなかったが、便器が異様に小さい。幅は30cm程度しかないのではないだろうか。
どうやらここは炊事場だったようだ。
潜水艦とはいえ、25人の乗組員に対してあまり小さい。極秘の工作活動では保存食を食べる程度だったのかもしれない。
艦内の報告はまだ続く。
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