世界、大人の社会科見学!

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国内旅行2

2011熊本1泊2日、ラーメンと産業遺産の旅7 「万田坑4 汽罐場、選炭場、職場、その他」

 
 
電気もない時代にどうやって地下の坑道へのケージ(=かご≒エレベーター)を昇降させたかというと、どうも汽罐、つまりボイラーの蒸気によってだったようなのだ。まんま蒸気機関じゃん!

三井三池炭坑・万田坑、第一竪坑の開削が始まったのが明治30年、第二竪坑の開削着手が明治31年、第一坑昇側竪坑巻揚機が設置されたのが明治35年。電気がらみを調べると、構内電車が動き始めるのが明治41年、万田・三池港間専用鉄道が電化されたのが明治45年、800Kw出力の万田発電所が建設されるのが大正12年。結構本気で汽罐(ボイラー)の蒸気を使っていた時期があるのだ。そしてその蒸気を作り出すボイラー=汽罐場の跡地がここだ。

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21世紀の技術先端国日本を生きる者としては「蒸気なんかに命を預けられるかよ!」と思わないでもないが、昭和の半ばまでは蒸気機関車が山ほど国内を走っていたわけだし、なんだかんだで一番手っ取り早い原動機なわけだ。考えてみれば原発のタービンだって蒸気機関だもんなぁ。最近どこかのは壊れたけど。

汽罐場で作られた蒸気は、ケージを昇降させる巻揚機の他、ポンプや扇風機や排気タービンに使われた。電化が完了して坑内の動力が電化した後も、しばらくの間炭坑施設や住宅の暖房用に使われたらしい。まぁこれだけでかければそう簡単には壊せなかっただろけれど。

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今では跡地と煙突の土台部分しか残されていない。崩れたら危ないもんなぁ、だ。

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汽罐場跡と第2縦坑、そして巻揚機室を見てその働きを理解すれば、三井三池炭坑・万田坑が国の重要文化財、そして史跡に指定された意味がよく分かる。日本近代化を支えた産業遺産であり「♪月が出た出た~」の炭坑節でも有名な三池炭坑の作業現場が、ここまでしっかり残っているのだ。そりゃ貴重だ。

敷地には他にも、産業遺産を好む類の人間には見逃すことのできない遺構が残っ…


 

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電気もない時代にどうやって地下の坑道へのケージ(=かご≒エレベーター)を昇降させたかというと、どうも汽罐、つまりボイラーの蒸気によってだったようなのだ。まんま蒸気機関じゃん!

三井三池炭坑・万田坑、第一竪坑の開削が始まったのが明治30年、第二竪坑の開削着手が明治31年、第一坑昇側竪坑巻揚機が設置されたのが明治35年。電気がらみを調べると、構内電車が動き始めるのが明治41年、万田・三池港間専用鉄道が電化されたのが明治45年、800Kw出力の万田発電所が建設されるのが大正12年。結構本気で汽罐(ボイラー)の蒸気を使っていた時期があるのだ。そしてその蒸気を作り出すボイラー=汽罐場の跡地がここだ。

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21世紀の技術先端国日本を生きる者としては「蒸気なんかに命を預けられるかよ!」と思わないでもないが、昭和の半ばまでは蒸気機関車が山ほど国内を走っていたわけだし、なんだかんだで一番手っ取り早い原動機なわけだ。考えてみれば原発のタービンだって蒸気機関だもんなぁ。どこかのは壊れたけど。

汽罐場で作られた蒸気は、ケージを昇降させる巻揚機の他、ポンプや扇風機や排気タービンに使われた。電化が完了して坑内の動力が電化した後も、しばらくの間炭坑施設や住宅の暖房用に使われたらしい。まぁこれだけでかければそう簡単には壊せなかっただろけれど。

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今では跡地と煙突の土台部分しか残されていない。崩れたら危ないもんなぁ、だ。

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汽罐場跡と第2縦坑、そして巻揚機室を見てその働きを理解すれば、三井三池炭坑・万田坑が国の重要文化財、そして史跡に指定された意味がよく分かる。日本近代化を支えた産業遺産であり「♪月が出た出た~」の炭坑節でも有名な三池炭坑の作業現場が、ここまでしっかり残っているのだ。そりゃ貴重だ。

敷地には他にも、産業遺産を好む類の人間には見逃すことのできない遺構が残っている。

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坑道から掘り出された石炭を質ごとに分類し、貨車に積み込むのがこの選炭場だ。やがては水選機などに取って代わられるのだが、それより昔は人力の作業だった。ここで「出荷できない」と判断された石炭の捨石は「ボタ」と呼ばれ、それが積み重なってできたのが「ボタ山」だ。

「ボタ」とは九州での捨石の呼び名だが、小説やマンガなどで生活地としての炭坑の象徴的に描かれることも少なくなかった。廃棄物の集積場であり崩落や火災などの事故もあったため、どちらかというと負のイメージが強い言葉でもあるが、今では石炭産業の象徴として保存しようとしている場所もあるらしい。私はかなり昔、福岡県穂波町のボタ山を見に行ったことがある。日本では北海道と筑豊エリアくらいにしか残っていないのではないだろうか。

職場。

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「そりゃ仕事をするんだから職場だろう」というツッコミはなしだ。ここでは旋盤やドリルなどで工具の整備や補修を行うここを職場と呼んでいたらしい。私の訪問時には補修作業中で中を歩くことはできず、上の写真は柵から撮影したものだ。(だから説明版の画像が斜めだ)

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ご迷惑をおかけします。職場をきれいに改修しています」の看板がチャーミングだ。普通意味分かりませんから。

第2縦坑巻揚機室から見た、変電所、第1縦坑、そして炭坑病院跡。

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かつて炭坑は福利厚生の充実した住環境を売りにしており、炭坑病院も福利厚生の一部だ。ちなみに病院の後ろに見える瓦屋根の建物は縫製工場で、万田坑で大規模な事故があった後、稼ぎ手である配偶者を失った女性が勤務したとのことだった。

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桜町トンネル。

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万田坑のある熊本県荒尾市と、同じ三井三池炭坑の坑道があった福岡県大牟田市を結んだのが、この桜町トンネルだ。熊本と大分を結ぶと言っても全長は130m。トンネルが出来るまでは住民は構内鉄道の上を歩いていたそうで、坑内の敷地を通ることにより駅や病院等への便がずいぶん良くなったらしい。万田坑長だった稲荷田さんという方が作り、「稲荷田さんの置き土産」と住人にも喜ばれたそうだ。

今回の旅行の主目的の一つだった「三池炭坑見学」は、万田坑ステーションの開業と万田坑跡地の一般公開によりかなり充実したものとなった。大規模な遺構も興味深いが、敷地にさりげなく置かれている工具や運搬器具類などもいい味を出している。産業遺産好きにはかなりポイントが高い場所だろう。

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かなり充実した気分で万田坑ステーションに戻ったら、こんなものがあった。

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以前書いたように、よほどの物でない限り一国ローカルの産業遺産を世界遺産にするという発想には賛成できないのだが、遺構の充実ぶりとスタッフの皆さんの丁寧な解説に満足しきった私は、この自動販売機で飲み物を2本買った。

世界遺産じゃなくたって立派な産業遺産だと思うんだけどな。

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