世界、大人の社会科見学!

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タイ/マレーシア/インドネシア/ブルネイ

2011 ボルネオ/ブルネイ14 サンダカン日本人墓地

 
サンダカンの観光と言えば、一般的にはセピロックのオランウータン保護センター、ウミガメの産卵を見ることができるタートル・アイランズ・パーク、更にはテングザル保護区やジャングルリバークルーズなど、どちらかと言えばアウトドア大好きでもってワタシタチ人間の勝手な都合で滅びゆく生き物を今こそ守らなきゃ的エコツーリズムポイントがメインだ。

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(絶滅危惧種。間違っても猿のくせになどと口走ってはいけない)

しかし日本人の場合「サンダカン」という言葉を聞くと、多分半分以上の人が脳内で「八番娼館」とつぶやく気がする。私もこのあたりにテングザルの保護区があることなど全く知らなかったが、「サンダカンには8番娼館という場所があって、からゆきさんがここで辛い日々を過ごした」こと程度は知っていた。もちろんこれは1972年に発表された山崎朋子によるノンフィクション「サンダカン八番娼館」とこれを原作に2年後発表された映画「サンダカン八番娼館・望郷」があまりにも有名なためだ。なんせこの本は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したし、映画もベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を獲っている。

そしてここサンダカンにはからゆきさんたちの眠る日本人墓地がある。

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からゆきさんについては、日本語版Wikipediaにはこうある。

(ここから引用)
からゆきさん(唐行きさん)とは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のこと。長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。「唐」は、ばくぜんと「外国」を指す言葉である。

からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ピンプ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちである。こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいた。

こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえたが、国際政治における日本の国勢が盛んになるにつれて、彼女らの存在は「国家の恥」であるとして非難されるようになった。1920年の廃娼令とともに海外における日本人娼館も廃止された。多くが日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もいる。

第二次世界大戦後、からゆきさんの存在は「戦前日本の恥部」として一般に知られることは少なかったが、1972年の山崎朋子『サンダカン八番娼館』の出版によって広く知られるようになり、以後、からゆきさんについてのルポルタージュや研究書が現れた。

からゆきさんの主な渡航先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地である。特に当時、アジア各国を殖民支配していた欧米の軍隊からの強い要望があった所へ多く派遣された。 また、さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、北米(カルフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った日本人女性の例もある。
---(引用ここまで)
http://bit.ly/92hND5

日本人娼館があったのはボルネオ・サンダカンだけではなかったのに、サンダカンのそれだけが有名になったのは、やはり「サンダカン八番娼館」という本と映画の力だと思う。

日本人墓地は世界のあちこちにある。そんな中戦後サンダカンの日本人墓地の存在はほとんど忘れられていたらしい。しかし「サンダカン八番娼館」の初版が刊行された1972年、これを読んだ現地の日本人駐在員が苦労の上ここを探し当てた。今でこそ「上から目線」などと批判的な反応も少なくないこのドキュメンタリーだが、当時としてはそれなりにセンセーショナルなものだったのだな。

そしてこの場所には、自らもからゆきさんであり八番娼館の経営者でもあった木下クニさんの墓もある。というより、このサンダカンの日本人墓地は木下クニさんによって作られた。彼女に関しては、法政大学の望月雅彦さんによる「サンダカンと日本人」に興味深い記述がある。

地図を見るとサンダカンの日本人墓地はホテルの裏山にあるように見える。


より大きな地図で サンダカン を表示

地図を指さしてホテルのご主人に「共同墓地までは歩いてどれくらい?」と尋ねると、「観光案内所の近くから道をショートカットできる階段があって、そこを通って行けば1時間はかからないと思うけれど…」とまことに頼りない返事だ。どうも歩いて共同墓地まで行ったことがないら…

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サンダカンの観光と言えば、一般的にはセピロックのオランウータン保護センター、ウミガメの産卵を見ることができるタートル・アイランズ・パーク、更にはテングザル保護区やジャングルリバークルーズなど、どちらかと言えばアウトドア大好きでもってワタシタチ人間の勝手な都合で滅びゆく生き物を今こそ守らなきゃ的エコツーリズムポイントがメインだ。

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(絶滅危惧種。間違っても猿のくせになどと口走ってはいけない)

しかし日本人の場合「サンダカン」という言葉を聞くと、多分半分以上の人が脳内で「八番娼館」とつぶやく気がする。私もこのあたりにテングザルの保護区があることなど全く知らなかったが、「サンダカンには8番娼館という場所があって、からゆきさんがここで辛い日々を過ごした」こと程度は知っていた。もちろんこれは1972年に発表された山崎朋子によるノンフィクション「サンダカン八番娼館」とこれを原作に2年後発表された映画「サンダカン八番娼館・望郷」があまりにも有名なためだ。なんせこの本は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したし、映画もベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を獲っている。

そしてここサンダカンにはからゆきさんたちの眠る日本人墓地がある。

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からゆきさんについては、日本語版Wikipediaにはこうある。

(ここから引用)
からゆきさん(唐行きさん)とは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のこと。長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。「唐」は、ばくぜんと「外国」を指す言葉である。

からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ピンプ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちである。こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいた。

こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえたが、国際政治における日本の国勢が盛んになるにつれて、彼女らの存在は「国家の恥」であるとして非難されるようになった。1920年の廃娼令とともに海外における日本人娼館も廃止された。多くが日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もいる。

第二次世界大戦後、からゆきさんの存在は「戦前日本の恥部」として一般に知られることは少なかったが、1972年の山崎朋子『サンダカン八番娼館』の出版によって広く知られるようになり、以後、からゆきさんについてのルポルタージュや研究書が現れた。

からゆきさんの主な渡航先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地である。特に当時、アジア各国を殖民支配していた欧米の軍隊からの強い要望があった所へ多く派遣された。 また、さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、北米(カルフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った日本人女性の例もある。
---(引用ここまで)
http://bit.ly/92hND5

日本人娼館があったのはボルネオ・サンダカンだけではなかったのに、サンダカンのそれだけが有名になったのは、やはり「サンダカン八番娼館」という本と映画の力だと思う。

日本人墓地は世界のあちこちにある。そんな中戦後サンダカンの日本人墓地の存在はほとんど忘れられていたらしい。しかし「サンダカン八番娼館」の初版が刊行された1972年、これを読んだ現地の日本人駐在員が苦労の上ここを探し当てた。今でこそ「上から目線」などと批判的な反応も少なくないこのドキュメンタリーだが、当時としてはそれなりにセンセーショナルなものだったのだな。

そしてこの場所には、自らもからゆきさんであり八番娼館の経営者でもあった木下クニさんの墓もある。というより、このサンダカンの日本人墓地は木下クニさんによって作られた。彼女に関しては、法政大学の望月雅彦さんによる「サンダカンと日本人」に興味深い記述がある。

地図を見るとサンダカンの日本人墓地はホテルの裏山にあるように見える。


より大きな地図で サンダカン を表示

地図を指さしてホテルのご主人に「共同墓地までは歩いてどれくらい?」と尋ねると、「観光案内所の近くから道をショートカットできる階段があって、そこを通って行けば1時間はかからないと思うけれど…」とまことに頼りない返事だ。どうも歩いて共同墓地まで行ったことがないらしい。

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山道歩きくらいはさほど苦ではないが、もう一つ問題があった。この階段や共同墓地の中はたまに強盗が出るらしい。ガイドブックにも「決して一人では歩かないように」的に書いているし、不法移民などによる強盗多発エリア、という話もどこかで聞いた。強盗は嫌だなぁ…。

「タクシーで行ったらいくらくらい?」と、もう一度宿のご主人に聞いてみる。「RM10で行くと思うけれど…、聞いてあげようか?」 ここのご主人は基本的に面倒見が良い。サバ州のタクシー初乗り運賃は3kmまでRM10だから、そんなものだろう。でも、できたら帰りの足も確保したい。

「墓地で20分位待っててもらって、RM20でもいいかな?」

ご主人は誰かに電話をかけてくれる。多分個人的知り合いのようだ。「今はちょっと忙しいけれど、あと30分でホテルに来ることができるみたいだよ。往復RM20だって。」

もう一人一緒に歩く仲間がいればと思わないでもなかったが、渡りに船とばかりお願いしてしまう。

タクシーは行き先をアグネスキースの家と気持ちよく間違え、その後共同墓地に向かう。向かうというより、私が「ここ右に入ってね」的に指示を出したのだが。共同墓地へは「宮殿通り (Jalan Istana)」というちょっと細い道を入るのだ。

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左に中国人墓地が見え始めても、車で行けるところまで言ってもらう。万が一怪しい人影があっても声が届く走れば着く距離にいて欲しい、という気持ちがなかったわけでもない。ここから先は歩くしかない。

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私以外誰もいない。もし私が、明日までに1万円用意できないとボスに殺されてしまう不法移民だった場合、夕方までかなりの確立で大金を持っている日本人観光客をここで待つのも、それほど効率は悪くない気もする。

駐車場から5分も歩かないうち、日本人墓地の表示が見えた。

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1972年に現地駐在員の方が発見した、その後作られたのだろう。雨風に朽ちることがないようにしっかり作られてある。

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ここをくぐって10メートルも歩くと、左側に日本人の墓が見える。

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ここにはからゆきさんだけではなく、この地で生涯を終えた様々な日本人も埋葬されている。新しいものでは1974年の海難事故で亡くなった方のお墓もあった。これは1972年のサンダカン日本人墓地発見以降の埋葬になる。

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横一列に並ぶ古い墓標。

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無縁の供養塔。横には「明治四十一年七月 熊本県天草郡二江村 木下クニ建之」とある。自身がからゆきさんであり、八番娼館の経営者であり、「サンダカン八番娼館」の主人公とも言えるおサキさんの面倒をみた、クニさんだ。

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ここには法名のある墓は少ない。

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実名の墓が多く、中にはわざわざ「俗名」と書かれたものもある。

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山崎朋子さんは彼女たちの墓を奥津城と呼んでいた。奥都城(おくつき)とは、上代の墓のことであり、またそこから神道式の墓のことだ。これなら俗名で葬っても問題はないと言いたかったのかもしれない。ご親切なことだ。

正直私も他の読者同様、山崎さんの「上から目線」を強く感じた人間なので、これ良い意味で書いていない。ついでにこちらは今は中古でしか入手できないサンダカンの墓に書かれた、「彼女たちの墓は日本に背を向けるように」云々の一文も、他の多くの人と同様に「これは普通に海が見える方向に建てたに決まってんだろ!」と書いておく。

まぁ私たち無学な一般人に、日本底辺階級の悲惨な歴史を教えて下さった知識階級の方だ。あまり悪く言うのはよそう。「研究者」だって商売だし、ノンフィクションだって演出はしなきゃね、だ。

映画の方はそれなりに好きだし。

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