世界、大人の社会科見学!

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2011 ボルネオ/ブルネイ15 サンダカンの街を歩き、八番娼館跡を見た件  

 
サンダカンは1946年までイギリス領北ボルネオの州都だった。

今でも40万人以上の人が住んでいてコタキナバルに次ぐボルネオ第2の都市ではあるが、「大都市」という感じは全くない。もう少し言えば「小さいけれどそれなりに小綺麗な街」という気もしない。日本人墓地へ向かう Jalan Istana にはロータリークラブが作った展望台があるのだが、そこからの風景はこんな感じだ。

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アップにした部分がダウンタウンの中心部で、海沿いには GENTINGMAS MALL というショッピングモールが見える。それなりに小綺麗に見えないでもないが、実際に行ってみると「実にちんけでやんなぁ」だったりする。2006年の時点では、サンダカンにはエスカレーターが1カ所しかなかったらしい。今も同じじゃないかと思うけれど。

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第二次世界大戦中日本の占領下にあったサンダカンは連合国軍の激しい空襲を受け、ほとんどの建物が破壊されてしまった。州都がコタキナバルに移ったのはそんな事情もあるのだが、コタキナバルが小規模ながらも都会の雰囲気を(ぎりぎりなんとか)保っているのに対し、サンダカンはどうあがいても「アジアの小さな港町」なのだ。それがいいんだけれど。

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(ピカチョじゃなくてピカチューだと誰か教えてやって欲しい)

こんな街に日本人娼館が九つもあったものだと思う。

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したサンダカン八番娼館の続編的なサンダカンの墓では、八番娼館は Jalan Tiga にあったとされている。Jalan Tiga とはその名の通り港から三番目の大通りだ。娼館跡は今では薬局になって…

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サンダカンは1946年までイギリス領北ボルネオの州都だった。

今でも40万人以上の人が住んでいてコタキナバルに次ぐボルネオ第2の都市ではあるが、「大都市」という感じは全くない。もう少し言えば「小さいけれどそれなりに小綺麗な街」という気もしない。日本人墓地へ向かう Jalan Istana にはロータリークラブが作った展望台があるのだが、そこからの風景はこんな感じだ。

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sandakan_town_02.gif

アップにした部分がダウンタウンの中心部で、海沿いには GENTINGMAS MALL というショッピングモールが見える。それなりに小綺麗に見えないでもないが、実際に行ってみると「実にちんけでやんなぁ」だったりする。2006年の時点では、サンダカンにはエスカレーターが1カ所しかなかったらしい。今も同じじゃないかと思うけれど。

sandakan_town_03.gif

第二次世界大戦中日本の占領下にあったサンダカンは連合国軍の激しい空襲を受け、ほとんどの建物が破壊されてしまった。州都がコタキナバルに移ったのはそんな事情もあるのだが、コタキナバルが小規模ながらも都会の雰囲気を(ぎりぎりなんとか)保っているのに対し、サンダカンはどうあがいても「アジアの小さな港町」なのだ。それがいいんだけれど。

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(ピカチョじゃなくてピカチューだと誰か教えてやって欲しい)

こんな街によく日本人娼館が九つもあったものだと思う。

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したサンダカン八番娼館の続編的なサンダカンの墓では、八番娼館は Jalan Tiga にあったとされている。Jalan Tiga とはその名の通り港から三番目の大通りだ。娼館跡は今では薬局になっている。

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サンダカンに来て八番娼館跡を訪ねる日本人は少なくないらしく、この薬局の場所は観光案内所であっさりと教えてくれるのだ。この薬局は "婆羅州西薬房 Borneo Dispensary" と言う。サンダカン市内に4カ所、ダウンタウンに2カ所店を構えているが、八番娼館跡にあたるのは "Borneo Dispensary (2)" だ。

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娼館跡と言っても、このあたりは1945年にはほぼ廃墟になっていたわけで、「昔ここに建っていた」というだけだ。薬局の人に話を聞いたが「この辺りの建物はみんな第二次世界大戦後に建ってるはずだよ」とのこと。博物館にあったこの写真を見れば納得する。

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(1945年のサンダカン市街地)

からゆきさんはサンダカンに限らず、東南アジアを中心に世界のあちこちにいた。実際映画の中では、八番娼館の主であったクニさんが「この中の誰かにプノンペンに行ってもらう」と言っていた。この街のからゆきさんが注目されたのは、やはり山崎朋子さんの功績なのだろう。本が売れたおかげで日本人墓地も再発見されたわけだし。まぁ安部公房あたりだと、ざもしい同盟クラスにまで昇華できるんだけれどね。

貧しい時代の悲しい話だと思う。更には「サンダカン八番娼館」自体、「知識階級」の上から目線のドキュメンタリーだとも思う。思うところはいろいろあるのだが、私が一番許せなかったのは、やっとの思いで日本に帰ってきたおさきさんを受け入れなかった家族だ。家族を受け入れることもできない「世間体」なら、そんな世間はなくていい。私なら誰になんと言われようと、妹を抱きしめて守る。

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