2012ミャンマー27 インレー湖・インディンのパコダ群 / 入場料を取らない裏山では仏塔は潔く崩れかけていた件
インレー湖畔の南側から皮を西に2-30分程遡ると、インディン(Inn Dien) という小さな村がある。ここまで来ると場所によっては川幅も結構狭いが、一応船着き場もある。
湖畔ではないせいもあってか、それ程大きな村ではない。まぁ、一応船をつけることができて、ちょっとした市場や僧院があって、このあたりの山にすむ人はとりあえず何かあったらここまで降りてくる、という感じの小さな村だ。ちなみに先に紹介した「首長族」(パダウン族)の家族は、土産物屋で働き始める前はここに住んでいたらしい。
インディンには「インディン・バヤー」と呼ばれるパゴダ群がある。2000年以上の歴史を持つ場所で、例によってバガン王朝時代にパゴダの林に仕立て上げられたらしい。仏塔の数は1000を超える。とりあえず船着き場から遺跡の入口に…
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インレー湖畔の南側から皮を西に2-30分程遡ると、インディン(Inn Dien) という小さな村がある。ここまで来ると場所によっては川幅も結構狭いが、一応船着き場もある。
湖畔ではないせいもあってか、それ程大きな村ではない。まぁ、一応船をつけることができて、ちょっとした市場や僧院があって、このあたりの山にすむ人はとりあえず何かあったらここまで降りてくる、という感じの小さな村だ。ちなみに先に紹介した「首長族」(パダウン族)の家族は、土産物屋で働き始める前はここに住んでいたらしい。
インディンには「インディン・バヤー」と呼ばれるパゴダ群がある。2000年以上の歴史を持つ場所で、例によってバガン王朝時代にパゴダの林に仕立て上げられたらしい。仏塔の数は1000を超える。とりあえず船着き場から遺跡の入口に向かう。橋の向こうにはインディン遺跡のパゴダが見える。
既にインレー湖の入域料を払っているためもあってか入場料は取られないのだが、「カメラ持ち込み料」を1ドルだか2ドルだか支払えというシステムになっている。たいした金額じゃないけれど、多少気持ちが萎える。というわけで、私はパゴダの参道がある遺跡ではなく、僧院の裏側に見えた怪しいパゴダ群の方に行ってみることにした。僧院の名前は "SHEW INN TAIN" というようだ。僧院というより、寺がやっている寄宿制の学校という感じだ。大体本当に修行だけの場所なら、バレーボールのコートは要らないと思う。
SHEW INN TAIN Monastery (シェウイン僧院)の敷地の中にもいい感じに崩れかけたパゴダが並んでいるのだが、その裏山にはもっと良い感じで朽ちていそうなパゴダが並んでいる。私はここに上りたい。インディンバヤーは金取るっていうしさ。多少のお金をかけて整備されている遺跡もいいけれど、適当に放置されて朽ちかけている遺跡もいいじゃないか。私が裏山への道を上り始めると、僧院の小坊主が何人かやってきて、「こっちだ、こっち!」と先導してくれる。いや、頼んでないって。
裏山のパゴダは、期待通りいい感じに朽ちていた。
もちろん熱帯モンスーン性気候のミャンマー、完全に放置されていた日にはこんなパゴダなんかあっという間に草木に埋もれる訳で、ちゃんと登る小道もあるあたりそれなりに管理はされている。多分シェウイン僧院僧院の小坊主たちが、草刈りをしたり多少の手入れをしたりりているんだろうな。
となりの小山にもパゴダが見える。多分この山も隣山もみーんなインディン遺跡一部だ。
いい場所じゃないか。インディンの村も見渡せるぞ。
帰路小坊主達が「金をくれ」というのを軽くあしらいつつ、インディンバヤーカメラ持ち込み料金支払所に戻る。私は僧院裏山に登ったことでとても満足していた。
まだみんな戻ってこないので、雑貨屋券茶屋で300チャットのインスタントコーヒーを飲んでいたら、この周辺に住むダヌー族女の子が赤ちゃんを背負ってやってきた。どうやらこの店の娘さんか知り合いからしい。姉弟思いのいい子だ。
やがてツアーメイトと合流した。ちなみに彼女たちの行ったインディンバヤーはこんな感じだ。まぁいいところだよな。
「インディンバヤー、どうだった?」
「そうね、今日見た中では最高ね」
「そうなんだ、でもね…」といいかけて口をつぐんだ。みんな好きな物も見たい物も、微妙に違うもんな。