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台湾

2012 スクートで行く週末台湾7 まずは桃園から大渓まで行き、百年油飯を早めの昼食にした件

 
今回の台湾旅行の目的は、慈湖、後慈湖などを含む両蒋文化園區を訪問することだった。

両蒋とは蒋介石とその長男である蒋経国のことだ。蒋介石は言うまでもなく、中国メインランドから台湾に撤退してきた中華民国の軍人であり総統であり、もともと台湾の人間ではない。いわゆる「外省人」というやつだ。

蒋介石の評価は時代や政権などにより様々なのだが、「一応中華人民共和国による共産化を回避はしたし国作りはしたけれど、結構酷いこともしたよなぁ」あたりが平均的なところなんじゃないかと感じる。1947年に発生した二二八事変(台湾にやってきた外省人と台湾に住み続けていた本省人との抗争)では公式に認定されただけでも28000人以上の本省人が国府軍に殺害/処刑されたと言われており、1987年の戒厳令解除までは、それを公にすることも認められなかったのだ。っていうか、戒厳令下では白色テロによる恐怖政治で結構な台湾人が投獄されたり消えたりしていた、という話もある。まぁ、専制だわな。


(台湾のテレビ局による二二八検証番組)

2000年に民進党の陳水扁が中華民国総統に当選し、実質上の国民党支配が終了した後、彼は脱蒋介石路線を推し進めた。2006年には「中正国際機場」を「台湾桃園国際機場」と改名したり、翌2007年には「中正記念堂」を「台湾民主紀念館」に改名したりした。後者は後に元に戻ったけれど。「中正」とは蒋介石の名前だったからだ。

陳水扁が「さよなら蒋介石(再見、蒋総統)」という文章を発表したのは2007年…


 

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今回の台湾旅行の目的は、慈湖、後慈湖などを含む両蒋文化園區を訪問することだった。

両蒋とは蒋介石とその長男である蒋経国のことだ。蒋介石は言うまでもなく、中国メインランドから台湾に撤退してきた中華民国の軍人であり総統であり、もともと台湾の人間ではない。いわゆる「外省人」というやつだ。

蒋介石の評価は時代や政権などにより様々なのだが、「一応中華人民共和国による共産化を回避はしたし国作りはしたけれど、結構酷いこともしたよなぁ」あたりが平均的なところなんじゃないかと感じる。1947年に発生した二二八事変(台湾にやってきた外省人と台湾に住み続けていた本省人との抗争)では公式に認定されただけでも28000人以上の本省人が国府軍に殺害/処刑されたと言われており、1987年の戒厳令解除までは、それを公にすることも認められなかったのだ。っていうか、戒厳令下では白色テロによる恐怖政治で結構な台湾人が投獄されたり消えたりしていた、という話もある。まぁ、専制だわな。


(台湾のテレビ局による二二八検証番組)

2000年に民進党の陳水扁が中華民国総統に当選し、実質上の国民党支配が終了した後、彼は脱蒋介石路線を推し進めた。2006年には「中正国際機場」を「台湾桃園国際機場」と改名したり、翌2007年には「中正記念堂」を「台湾民主紀念館」に改名したりした。後者は後に元に戻ったけれど。「中正」とは蒋介石の名前だったからだ。

陳水扁が「さよなら蒋介石(再見、蒋総統)」という文章を発表したのは2007年だった。12月6日にメールマガジンなどという今風の形で発表されたこの文章には、こうある。

「蒋介石は二二八事件の元凶であり、兵隊を派遣して台湾の人々を鎮圧し、虐殺したことは、すでに歴史の定まった見解となっています。しかも、公開された政府の関連資料によると、蒋介石本人が直接処刑の命令を下した件が数多く見られます。「中正紀念堂」を維持し続け、「蒋介石生誕および逝去記念日」を維持し続けることは、反民主、反人権であるばかりか、さらには反台湾でもあるのです。」
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=47119&ctNode=3591&mp=202

民進党政権になり、公に蒋介石批判がなされ始めると、台湾各地に設置されていた蒋介石の銅像がどんどん撤去されていった。蒋介石の遺体安置所公開も止めてとっとと埋葬してしまおうと、墓地まで作ったらしい。

ところが1975年に蒋介石が死んでから30年、「もう蒋介石も国民党支配も昔の話なんじゃね?」的風潮が一般的になっていき、撤去された銅像が遺体安置所近くに集まりだした。「遺体安置所もあるし昔の施設なんかも残ってるし、それならいっそここを記念公園的な場所にしちゃえばいいんじゃね?」と考えた桃園県政府が、2005年から企画を開始し整備したのが両蒋文化園區なのだ。

両蒋文化園區で、蒋介石が自身の避難所兼戦時指揮所として作った統制区域内にある後慈湖の施設を公開し始めたのが2009年5月。一度に50人、1日400人までと制限はあるが、ネットで予約をすれば日本人でも見学ができると言う。これを見逃す手はない。 というわけで、桃園駅裏手にある桃園客運のバスターミナルへ向かった。あー、前振りが長くなってしまった。

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両蒋文化園區は慈湖というバス停がその入口になるが、桃園から直行するバスは(多分)ほとんどない。まず大渓という街まで行って、そこから慈湖を通るバスに乗り換えることになる。大渓まではおよそ15km、所要時間は渋滞にもよるが約40分、運賃は49元(≒140円)、5096番のバスが大渓行きだ。

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大渓に着いたらそのまま慈湖を通るバスに乗り換えれば良いのだが、実はこの大渓という街がまた面白い場所だ。ここは街に寄り添うように流れる「大漢渓」という川が木材の輸送拠点となり、桃園でも最も早く拓けた場所なのだ。日本統治時代にはやったバロック風建築が残り、今では「大渓老街」としてちょっとした観光スポットになっている。台湾の街が盛り上がるのは日没後だから、ここは帰路にゆっくり散歩すれば良いのだが、私はここで早めの昼食をとっておきたかった。

後慈湖の見学は、ネット上では「所用1時間」とあることが多いが、公式の予約画面では「2時間半から3時間半、山道を3.85km歩くから覚悟してね」的なことが書かれていて昼食場所などは期待できなそうだし、慈湖エリアにもあまり食事環境は良くないことが予測されたからだ。大渓は一応街なので、それなりに美味しい物がある。

バスは大通りからどんどん細い道に入り、小さな建物にの横に止まる。ここが大渓のバスターミナルだ。

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バスターミナル、から中央路を北に歩く。このあたりは老街っていうより、ただの台湾の片田舎だな。少し歩くと右手に市場があり、土曜の朝らしい賑わいがある。目指す百年油飯の店は、この市場の近くだ。

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桃園県の観光局も進める百年油飯は、その名の通りこの場所で100年以上油飯を出し続けている。うるち米に化学調味料などは一切使わず調理した、この街の名物だ。

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油飯と肉巻、肉羹湯のセットが110元(≒320円)。油飯単品なら30元(≒85円)なのだが、ついセットで注文したくなってしまう。大渓まで来ると「せっかく来たんだから」的発想がわきはじめてしまうのだな。

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私的にはちょっと贅沢にセットの百年三寶110元を注文してみたのだが、肉羹湯がまだできていないと、好みのスープを聞かれる。ちょっと残念だったけれど、鶏系と思われる物を注文する。

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「あぶらめし(油飯)」というあっさり好みの日本人には多少どぎつい名前だが、なんていうんだろう、「中華チマキのご飯の部分だけ」というとかなり実態に近い気がする。日本の炊き込みご飯なんかに比べれば確かに油飯だ。

肉巻「豚肉を材料にしているけれど、どこか食感が魚の練り物っぽいもの」かな?さすが中国文化圏、豚肉の使い方が上手い。スープは結構ていねいに作られた優しい味だ。てか、これも重かったらちょっときつい。これが肉羹湯だったら、さすがの私もお腹がもたれたかもしれない。おっと、例によって動画もあったぞ。

店内では、例によって大きなパネルが百年油飯の歴史を語っている。なるほど、昔からやってるんだね。老街の地図もあったので、帰路のために撮影しておく。

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百年油飯の店は、大渓のバスターミナルから200メートル程の距離だ。後慈湖、慈湖エリアをはじめ両蒋文化園區にはあまり安くておいしそうな店はなかったため、ここでの昼食は正解だった。

やっぱりごはんは街で食べるのがいい。


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