2015マニラ秋社会科見学8 細い迷路の奥にあった「棺の上の家」を訪問してみた件
2016/08/22
ナボタスの集合墓地の上には家がある。
日本人の感性としてはコンクリートの穴を8重に積み上げて、そこにご遺体をいれることにも違和感があるのだが、この辺は文化の問題でもある。中国やインドネシア、そしてフィリピン等には棺を吊り下げる地域もあるし、ただ「習慣が違う」というだけのことだ。日本だって岡本太郎が棺を暴く狼藉を働くまでは、久高島では亡くなった人を海岸で風葬で弔っていた。
(私はこの島が好きで結構頻繁に訪問しているのだけれど、そういえば旅行記をアップしたことはないなぁ…)
ただ墓の上に家を建てるとなると、これにはかなり衝撃を受ける。別に住んでいる人だってやりたくてやっているわけではないとは思うけれど、絶対にやってはいけないとも思ってはいないようだ。私はこの棺の上の家をどうしても訪問してみたくなった。この住居はナボタス共同墓地の北側にある。ここに行くには、墓をよじ登るか、一度共同墓地のゲートを出て美しいカトリック墓地の北側にあるパゴンシラン通りに入るしかない。
「海沿いなんだから海岸線側からアクセスすればいいじゃん」のビーチリゾート的発想もあるかもしれないが、こちらはいきなり人様の家の前の暗くて狭い通路に突入することになるので、大変に失礼な上に大変に危険だ。墓をよじ登るより危険だ。危険が嫌いな私は、周囲の様子をうかがいながらパゴンシラン通りをじわじわ奥に進む、という方法をとってみた。
この辺りで、左側に入り込める比較的大きめな通路を物色する。もちろんカメラなど手にしてはいけない。
私はここに手ぶら出来ている。正確には多少の現金とスマホだけをポケットに隠し持っている。ここの住民に違和感を感じさせないことは不可能だけれど、比較的無益で無害な存在として振る舞う努力はできる。
無益で無害な馬鹿外国人が現地の人に尋ねる。
「あのー、墓地、こっちですかぁ???」
今私が立っているのは、集合墓地の棺の山の一つだ。
一応書いて置くが、私はかなり計算高く振る舞ってここに来た。訪問の時間帯も、キリスト教国のフィリピンで教会のミサが行われた直後である日曜の午前中を狙ってきたし、危険を察知した場合直ちに引き返すための避難経路を確認しつつ入り込んだ。写真の隠し撮りもしたけれど、可能な限り無益で無害な存在として行動したし、最悪の場合多少の金銭で話をつける準備だってしていた。
↑ 馬鹿のマネはしないでください、と書いている。
多分ナボタスの集合墓地に入るくらいならリスクはあまり高くない。しかし隣接するこの住居群を訪問するのは無謀だった。今は反省している。私は自分の子どもたちがナボタスの集合墓地を見たいと言ったら、存在しない父の威厳を最大限に虚飾して 「一人では絶対に行かないでSmokey Tourにお願いしなさい」と言う。
もう一度墓地に戻ると、こんどは子ども達が歓迎してくれた。
いくら私が馬鹿でも「滅び行くシマフクロウ」とか「搾取される労働者たち」とか「スラムの子ども達の笑顔」とか、そんな写真は載せたくはないのだけれど、一人が(多分)「ネットに載せてね!」("internet!")などと言うから、仕方なしに約束を守っているだけで、このこどもたちが特別にかわいいわけじゃない。どこにでもいる子ども達と同じくらいかわいいだけだ。