2016初めてのイラン18 ペルセポリスの王墓でアケメネス朝ペルシャ帝国に思いを馳せた件
2016/08/22
200000リヤル(≒686円)也を支払ってペルセポリス遺跡に入る。
この政治/儀式的な都が作られたのは紀元前520年、アレクサンダー帝国の登場するその前になる。アケメネス朝もアレクサンダー帝国に滅ぼされるが、ここはそれ以前の「古代オリエント文明」の痕跡なのだ。わくわくするじゃないか。
(イラン航空のマスコットでもあるホマ)
そしてその最大の見所は、謁見の間であるアパダーナ東階段のレリーフ、と言われる。ここには王に謁見する各国の使者の様子がとても良く描かれている、らしい。
いやさ、考古学的には貴重な遺跡なんだろうけれど、観光的にはちょっと地味ではないか??確かにいろいろな国の使者の様子は分るけれど、私のような無知な人間だと、「これがライオンを連れたエラムの使者ですね」といわれても、「ほうほう、なるほどね」で終わってしまう。
細い赤土の回廊にどかんと宝物殿が現れるペトラ遺跡や、列柱道路も華やかなパルミラ遺跡に比べると、やっぱ、その、少し地味だ。
しかし、遺跡の規模としては、ペトラほどではないけれどパルミラにそんなに負けてはいないのだ。
遺跡に寄り添う丘には、ステージのような場所がある。アルタウセルクセス王の王墓だ。下の遺跡からは5分も歩けば登ることができる。
ここからはペルセポリスが一望できる。下に向かってお触れの一つも出したくなる場所だ。
青い空に紀元前500年の遺跡、良いではないか。夏は暑さがかなり厳しいらしいが、冬は澄み渡った空と乾いた空気が気持ちよい。もしかしてペルセポリスを「がっかり遺跡」と言ったのは、暑いさなか汗をだらだら流しながら歩いた人たちなんじゃないか、とも思う。中にはあまり売店もないし、水も高いからねぇ。
私は古代オリエントの歴史について「全く無知」と言って間違いないのだが、200000リヤルの入場料を支払ってでもペルセポリスに来たことを後悔はしなかった。シーラーズまでやってきてペルセポリスを見ないなんて、そんなもったいない話はないと思う。
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