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国内旅行

マイレッジプラス10000マイル GW国内線祭り9  「ドロ神父記念館」など、外海地区のキリスト教関連遺産を見た件

2016/08/22

4月30日(土) 外海地区でキリスト教関連施設を見る

長崎にはキリスト教教会が多い。禁教時代には殉教者も多く出た。

これは出島の存在というより、今の長崎の大村藩と有馬藩の大名が領民をカトリックに改宗させるという大技に出たためであって、自分だけが改宗した他のキリシタン大名とはずいぶん事情が違う。

1563年、自分と共に領民をカトリックに改宗させた大村純忠は、僧侶や神官を殺害したり、改宗しない領民を殺したりしたというから、結構迷惑な話でもある。しかし純忠の長男喜前は1602年に日蓮宗に改宗し、今度はカトリックを弾圧した。またもや迷惑な話で、喜前は1616年にカトリック信者によって毒殺されたという。世界遺産候補といっても、美しい話ばかりではない。

 

 

外海地区は大村藩の領地(と、鍋島藩の飛び地)だった。またここはキリシタン弾圧を題材とした遠藤周作の代表作「沈黙」の舞台とされていて、遠藤周作文学館という施設もある。

そんな外海の、長崎市外海歴史民俗資料館

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(どうして写真が斜めなのかは思い出せない)

 

ここには旧外海町を代表する歴史、つまり池島の炭鉱とキリスト教、そして隠れキリシタンに関する資料が展示されている。極めて私好みの博物館だ。

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そして、この博物館の入場券は、100m程離れたドロ神父記念館の入場券を兼ねている。

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外海地区には、隠れてないカトリックの施設も多い。カトリックにしてみれば、たくさんの殉教者が出た土地、ないがしろにするわけには行かない。1868年に来日したドロ神父(マルク・マリー・ド・ロ)は、パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師であり、この地でカトリックの布教に努める傍ら、貧困救済の福祉活動を手広く行ったことでも知られている。この記念館は、彼の作った旧出津救助院の一部であり、どうやら鰯の網を作る作業所であったらしい。ちなみに隣接する建物は「旧出津救助院」という名前で別に入場券を買う必要がある。

 

 

ここ大野教会堂は、ドロ神父が1893年に作った教会で、国の重要文化財に指定されていて、世界遺産候補の一つでもある。

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入り口にあたる北側の壁に窓がないのは、この土地特有の強風に対応するためで、別名「ドロ壁」と言われる。「ドロ壁だけれど煉瓦出できている」、というネタは、絶対近所の子どもが言い続けている。

 

 

大平作業場跡

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ここもドロ神父によって明治34年に作られた。作業場の跡だ。近くには「ドロ畑」という神父は開墾した畑が今も残されている.規模は小さいが、煉瓦に青草の取りあわせがペンメリアのようでなかなか美しい。

 

 

布教活動のみならず、社会福祉事業にも尽力したド・ロ神父は、1914年に長崎で死去し、その遺体は旧外海町・出津に葬られた。その墓はドロ神父記念館(旧出津救助院)の北1km程の共同墓地にある。

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ちなみにこの地区には、バスチャン屋敷という謎の遺構もある。

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ここは、禁教令が敷かれ外国人宣教師が引き払った後、指導に努めた「バスチャン」という日本人宣教師の隠れ家だった場所と言い伝えられている。建物が新しいのは、地元の人が数年前に建て替えたからだ。

バスチャンには多くの言い伝えがある。「バスチャン暦」という教会歴(日繰り)を残した、「やがてキリスト教が禁止されない時代が来る」といった4つの予言を残した、十字架で椿を指すとそこに十字架の印が残った、などだ。真意の程は分からないとしても、言い伝えといい、小屋の再建といい、バスチャンが地元の人に尊敬されたきたことの証であることは間違いない。

 

 

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