世界、大人の社会科見学!

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フランス 西ヨーロッパ

2016パリ9 レ・ミゼラブルのパリ② シテ島周辺とジャベールが身を投げた橋

ジャベール警部は、「マドレーヌ氏」がジャンバルジャンではないかと気が付いた唯一の人物であり、パリ警視庁にそのことを告発した人物だ。原作にはこうある。

「ジャヴェルは大きくなるに従って、自分が社会の外にいることを考え、社会のうちに帰ってゆくことを絶望した。社会は二種類の人間をその外に厳重に追い出していることを彼は認めた、すなわち社会を攻撃する人々と、社会を護る人々とを。彼はその二つのいずれかを選ぶのほかはなかった。同時にまた彼は、厳格、規律、清廉などの一種の根が自分のうちにあることを感じ、それとともに自分の属している浮浪階級に対する言い難い憎悪を感じた。彼は警察にはいった。」(レ・ミゼラブル「ファンティーヌ」)

ジャベールにとって脱獄囚であるバルジャンは許すべき存在ではなかったのだが、6月暴動の際バルジャンに命を助けられ、法は絶対ではないのではないかと考え始める。それまで絶対的なものと信じていた法への信頼の揺らぎや、バルジャンを告発できない自分の心境の変化など、今までの価値観を破壊され役職を遂行できなくなったジャベールは、セーヌ川に身を投げる。その場所がシテ島北部のノートルダム橋だ。

「ジャヴェルはその暗黒の口をながめながら、しばらくじっとたたずんでいた。専心に似た注視で目に見えないものを見守っていた。水は音を立てて流れていた。すると突然、彼は帽子をぬぎ、それを川岸縁に置いた。一瞬間の後には、帰りおくれた通行人が遠くから見たならば幽霊と思ったかも知れないような黒い高い人影が、胸壁の上にすっくと立ち現われ、セーヌ川の方へ身をかがめ、それからまた直立して、暗黒の中にまっすぐに落ちていった。鈍い水音が聞こえた。そして水中に没したその暗い姿の痙攣の秘密は、ただ影のみが知るところだった。」(レ・ミゼラブル「ジャンバルジャン」)

 

ジャベールはここで身を投げる前に、シャトーレ広場の警察衛舎に立ち寄り、最後のメッセージを残す。それは遺書というにはあまりにも事務的な内容であり、警察業務を改善するための10の提言だった。

「ジャヴェルは橋の胸壁を離れ、こんどは頭をもたげて、シャートレー広場の片すみにともってる軒灯で示されている衛舎の方へ、確乎たる足取りで進んでいった。」

「ジャヴェルはペンと一枚の紙とを取って、書き始めた。そして最後の行の次に署名をした。一等警視  ジャヴェル」

「ジャヴェルは紙の上の新しいインキをかわかし、紙を手紙のように折り、それに封をし、裏に『制度に関する覚え書き』としたため、それをテーブルの上に残し置き、そして衛舎から出て行った。鉄格子のはまってるガラス戸は彼の背後に閉ざされた。」
(レ・ミゼラブル「ジャンバルジャン」)

 

ちなみに映画のレミゼラブルではシテ島東端のアルシェヴェシェ橋で撮影が行われ、その前のシーンではシテ島中央南部にあるパリ警視庁の屋上も使われているらしい。

 

そしてもう一つ、ここにはユゴーと極めてゆかりの深い建物がある。ノートルダム寺院だ。

レ・ミゼラブルでは、盗賊クラヴァットがミリエル神父に送った司祭服はノートルダムから盗まれたものとされていたし、ミリエル神父参加した「フランスおよびイタリアの司教会議」はここで行われている。しかし何よりも、ユゴーはこの荘厳な寺院を舞台に「ノートルダム・ド・パリ」を書いた。

ディズニーの長編アニメなどでは「ノードルダムの鐘」等ではストーリーが少し変えられていてハッピーエンドで終わることも多い物語だが、原作は必ずしもそうではなく、弱くて卑怯な人間たちと残酷な人間社会がこれでもか的に描かれている。

衛兵フェビスは婚約者がいるのにエスメラルダとの仲を深め、エスメラルダに心をよせる聖職者フロロはフェビスを刺し、しかしフェビスに思いを寄せ続けるエスメラルダは魔女裁判で死刑になり、カジモドはそれを見守るフロロを塔から突き落として殺し、パリの雑踏に身を消す。どろどろじゃん、だ。ディズニーがこんな話をそのままアニメにできるわけがない。

出版は1831年、ヴォージュ広場の高級アパルトマンに引っ越す前年だ。ま、こういう話が売れたわけだな。

ノートルダム大聖堂は、12世紀にその建築が始まったパリを代表する教会であり、フランスの各都市における「パリまでの距離」はここを基準に計測される。ナポレオンの戴冠式もここで行われた。ベルサイユ宮殿やエッフェル塔にはいかない私ですら、さすがにスルーはできない。

フランス革命後、彫刻が切り落とされたり装飾が削られたりされ廃墟と化しかかっていたのだが、ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」の発表が大聖堂復刻運動を推進し、出版から12年後の1843年、政府によるノードるダム大聖堂の補修が始まった。ユゴーは小説家や詩人としてだけではなく、政治家としてもそこそこ成功している。弁舌より小説の方が、一般市民の心と行政を動かすものなのだな。

シャトレ広場からパリ警視庁、そして小説の中で彼が身を投げたノートルダム橋までの距離は約1.3㎞、ジャベールが最後を迎える場面の舞台は思いのほか狭い。

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