旅メモ 18きっぷで帰宅困難地域を走るJR常磐線代行バスに乗ったら、かなりの放射線量だった件
2020/01/11
仙台に用事があったので、18きっぷを使った。
18きっぷを使ってアウェイ戦を観戦できるかできないかは日程にもよるので、今年は幸運だ。首都圏から仙台まで新幹線なら約1時間30分/11000円の移動だが、18きっぷなら1枚2370円で約7時間。時間はかかるけれど各駅停車での長距離移動は未だに新鮮で、年に数回なら「安上がりで楽しい非日常イベント」になる。
仙台は宿の相場が高めなのだけれど、運が良いと2315円で泊まれる、昨年12月にできたばかりの駅近カプセルは予想以上に快適で、露天風呂や妙に充実したコミックも楽しめたし、試合の後は近くのコンビニでビールとつまみを買い込み、やけ酒も飲めた。
どうしてこのカプセルホテルに泊まったのかというと、安いカプセルだったからだけではなく、仙台駅から徒歩5分だったことが大きい。試合の翌日、私は仙台発5:30原ノ町行き電車に乗る必要があったのだ。
東日本大震災で分断されいた常磐線の小高ー浪江間が、今年(2017年)4月1日6年ぶりに運行を再開し、それに伴い浪江ー富岡ー竜田間の代行バスも増発された。
しかし富岡と竜田を結ぶ代行バスは1日11便(往復22便)あるのが、浪江から竜田までのバスは朝夕1便づつ(往復4便しかない)。時刻表によると浪江からの上りバスは朝の7:30発と17:30発の2便であり、朝便に乗るには仙台5:30発の原ノ町駅行きに乗るしかないのだ。
震災後、国道6号線の一般車通行が可能になったのが2014年9月15日、常磐線竜田駅~原ノ町駅間代行バスの運行が始まったのが2015年1月31日、そして2017年4月1日、現在の1日22往復体勢になった。
このルートは未だ放射線量の高い帰宅困難地域を通る。以下の資料は、内閣府原子力災害対策本部による平成26年9月12日の文書のものなのだが、未だ放射線量の高いエリアが残されていて、バスはここを通る。
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/kokudou6gou_press.pdf
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/kokudou6gou_press.pdf
バスが放射線量の高いエリアを通過することは、2015年1月代行バスの運行が開始された時、JR東日本水戸支社の文書にも記述されていた。
http://www.jrmito.com/press/150122/20150122_press01.pdf
困難の中、JRががんばって走らせている代行バスなのだ。
そして幸運なことにこのバスには18きっぷで乗ることができる。
仙台5:30発原ノ町行きにのり、8分の接続で浪江行きに乗り換える。
現時点で常磐線が途切れる浪江駅。
北側には原ノ町・仙台につながる線路があり、
南側にはまだ列車の走らない線路が見える。
駅舎と券売機。上部の運賃表には浪江駅より北側の駅しか表示されていない。
列車の到着を待つように、駅前には代行バスが停車している。
代行バスの車内では、帰宅困難地域を通過すること、運行中窓を開けてはいけないこと、車窓からの撮影はかまわないけれど車内は撮影しないこと、などの注意事項がアナウンスされる。現在帰宅困難地域を走る唯一の公共交通機関であるため、私のように好奇心で乗ってくる輩も少なくないようだ。車内には「車内での撮影はマナーとモラルを守りましょう」との張り紙もある。はい、守らせて頂きます。
バスは人気のない浪江市街をゆっくり走る。
手持ちのガイガーカウンターを眺めると、浪江駅前市街地の放射線量は高くはない。ここは旧避難指示解除準備区域であり、4ヶ月前の平成29年3月31日に避難指示は解除された。
バスは国道6号線を南下する。郊外型店舗には全く人気がなく駐車場に草が生えているか、あるいは、復興作業を行う人たちの事務所として使用されているかのどちらかだ。スクリーニング検査場として使われている元店舗や事務所も複数ある。
バスは帰宅困難地域に入る。
帰宅困難地域に入ると、手元のガイガーの数字が少しずつ上がっていく。
このガイガーカウンターは、2011年から日本や海外のいろいろな場所で活用してきた。過去、最も高い数値を示したのは、国内では除染作業が行われていたJビレッジで数値は1.5μSv/h程、国外ではチェルノブイリ4号炉「象の檻」前で13.8μSv/hだった。
そして今回の代行バスで、国内の最高数値記録はあっさり塗り替わった。
国内で2μSv/h以上の数字を見たのは初めてだった。ましてや5.82μSv/hは予想以上だった。
バスを運行するJRが、2015年の時点で「帰還困難区域の道路上の車外の空間線量率は 0.31~14.7μSv/h」と書いているし、想定内の数字であるべきだったけれど、現実に体験すると事態の深刻さを再認識させられる。
と同時に、帰還困難区域、旧居住制限区域、旧避難指示解除準備区域の指定が、適切になされていることも良く理解できた。震災直後「自分の身は自分で守る」とどこか行政を信頼していない部分もあった私だが、日本の行政は動きは遅いけれど一度動き始めるとそれなりにしっかりしている。
バスは竜田駅に近づく。
そして、現在下りの常磐線が途切れる、竜田駅に到着する。
駅周辺にはまだ新しく見えるアパートが多くあったし、駅の規模から考えれば多めのタクシーがそこそこ稼働していた。これも復興景気」の一部なのだろうな。
駅前には、被災以前の楢葉町の観光案内看板があった。かつてサッカー少年の憧れだったJビレッジは震災後原発事故対応拠点となったし、道の駅ならはは双葉警察署臨時庁舎となった。しかしオートキャンプ場は1年前の2016年から再開した。少しずつだけれど、町は以前の姿を取り戻そうとしている。
濃厚な50分間の代行バス体験を終え、水戸行きの列車に乗り込む。早起きもしたし濃厚な体験もしたし、竜田から水戸までの約2時間は少し眠っていこう。
ちなみに竜田側から朝の下りの代行バスに乗るには、18きっぷの場合、10:05竜田発原ノ町駅に乗るためには、5:10に上野駅を出る勝田行きに乗らなくてはならない。
また、竜田駅から現在代行バスが停車している富岡駅の間は、2017年10月11日に鉄道が再開することが決定している。試運転は9月14日から始まる。