2016パース9 フリーマントル刑務所の獄舎、独房、拷問施設、そして処刑場も見てしまった件
2017/09/06
(ブログの最後に人によって不快感を持ちかねない画像があります。ご注意下さい)
フリーマントル刑務所には4つの獄舎があった。
13歳までの少年や罪状の軽い受刑者が収容された第1ディビジョン、暴力を伴わない重罪犯を収容した第2ディビジョン、暴行犯を収容した第3ディビジョン、そして長期受刑者や殺人犯を収容した第4ディビジョンの4つだ。獄舎の造りはあまり変わらないが、それぞれの獄舎間の移動はできない。
また、獄舎内には、フリーマントル刑務所の歴代の獄舎の内装が展示されている。1852年から1860年がこのハンモックで、
1860年から1870年までがこのハンモック。大した違いじゃないけれど、部屋の備品が減っている。
1870年から1920年までの50年間、一番長く使われたのがやはりハンモックのこれ。シンプルだ。
1920年になるとベッドが登場する。この部屋は1960年まで使われた。小物入れの棚に加えテーブルが増えている。
1960年になると収容人数が増えてきたため2段ベッドも使われ始めた。トイレもバケツから簡易トイレに変わったようだ。この部屋は1980年まで使われた。
そして1980年からフリーマントル刑務所が閉鎖されル1991年までの部屋。2段ベッドは変わらないが、机の上に置かれた白黒携帯テレビが、囚人の待遇の変化を思わせる。
ちなみに獄舎内には"Telephone Room" なるものもあった。オーストラリアの刑務所では囚人は電話を発信することもできたらしい。電話代はどうしたんだろうな。
しかし良いことばかりではない。壁際に見える3角の鉄柱はむち打ち台だ。1850年に西オーストラリア流刑植民地総督だったエドムンド・ヘンダーソンは体罰としてのむち打ちに否定的だった。看守もむち打ちを嫌悪していたようで、1853年には「むち打ちは終わった」という記録もあるが、実際には1943年に最後のむち打ち刑が行われている。
(この後、人によって不快感を持ちかねない画像があります。ご注意下さい)
そして、ツアーのしめくくりがここ。処刑台。
フリーマントル刑務所で初めて処刑が実施されたのが1889年。以後1964年まで44名がここで処刑された。私は刑務所マニアで、今までいろいろな刑務所を見学してきたけれど、本物の処刑台を公開している場所は多くはない。
ちなみに処刑される囚人は、刑の執行までをここで過ごした。ここでブランデーを与えられ、歩いて1分もかからない処刑台に連れて行かれた。
フリーマントル刑務所には、教会もある。
壁にはモーゼの10戒が書かれているのだが、よく見ると文面が微妙に違う。「汝、殺すなかれ」”Thou shalt not kill” が "Thou shalt not murder" となっている。
これは処刑を行う刑務所で ”Thou shalt not kill” とするには無理があるため、「犯罪としての殺人」のトーンが強い "Murder" と書き改められた。刑務所は刑務所でいろいろ考えてる。
なるほど、確かにここは「負の世界遺産」かもしれない。
「負の世界遺産」に明確な定義はないが、同種の言葉に「ダークツーリズム」というものがある。「ブラックツーリズム」「悲しみのツーリズム」とも言われるこの観光スタイルは、災害被災跡地、戦争跡地など、人類の死や悲しみを対象にした観光を指し、この場合の「観光」は、娯楽より学習と考えられる。
ダークツーリズムをテーマにしたガイドや書籍は日本語のものもそこそこの数が出回っている。国外だけではなく、国内にも見学地は少なくない。興味や関心のある人は、一度目を通してみるのも悪くないと思う。