2017MP3 サザエさん通りを歩き、福岡市博物館で金印を眺めた件
予想を裏切って大変においしかった「高菜食べてしまったんですかのラーメン」に驚き、また地下鉄に乗り込む。目的地は福岡市博物館に一番近い西新駅だ。
4.サザエさん通りを歩く。
西新駅ホームから博物館に向かう出口に向かい途中、妙なパネルが見えた。
は?サザエさん通り?
サザエさんと言えば桜新町の長谷川町子美術館と桜新町商店街のご一家の彫像を知っていたけれど、こんなところに「サザエさん通り」なるものがあることは、この時まで知らなかった。調べてみると、どうやら2012年5月17日に出来たらしい。
どうして福岡市西新でサザエさんなのかというと、サザエさんを描いた長谷川町子は幼少期と第2次大戦の前後を福岡市で過ごし、終戦後「自宅の近所である百道海岸を歩いている時に、サザエさんの家族構成と名前を考えた」ということらしい。その百道海岸があったのが、サザエさん通りなのだそうだ。
案内された地図を見ると、西新駅から博物館横を抜け、福岡タワー、そしてシーサイドももち海浜公園までが「サザエさん通り」とのこと。どうせ博物館に行くのだから、このルートを通ってみよう。
ただの道路にサザエさんの幟や看板並べただけ、という気もしないでもない。
と思っていたら、オブジェがあった。ここが「サザエさん発案の地」だとのこと。
曰く、
『「サザエさん」の原作者、長谷川町子さんは、昭和19~21年にかけて、福岡市(現在の西新3丁目)に住んでいました。右の漫画にあるように、百道の海岸を散歩しながら、サザエ。カツオ、ワカメ等の登場人物を考案し、昭和21年4月創刊の夕刊フクニチ新聞(~平成4年休刊)に漫画「サザエさん」の連載が始まりました.当時はこのあたりが、海岸線でした。」
ふむふむ、なるほどね。まぁ、わざわざ来ようとまでは思わないけれど、通りすがりに見る分には悪くはない。
この「サザエさん通り」プロジェクトは地元ではそれなりの期待を受けているようで、ルート上にある西南学院では「サザエさん通り」を生かした街づくり シンポジウム&上映会なるものも行われていた。過度な期待は禁物、という気もしないでもないのだけけれどね。
5.福岡市博物館で充実した展示を見学する。
サザエさん通りを15分程歩くと、福岡市博物館がある。
以前から評価の高かった博物館だが、2015年11月のリノベーションで常設展示は展示がますます魅力的になったらしい。今回の福岡訪問、メインの企画はこの博物館をゆっくりを見学すること、だった。
福岡市博物館といえば、金印だ。
子どもの頃あまり勉強の出来なかった私は、教科書に載っていたことを過大に評価する習癖がある。だから、「リアス式海岸」と言われれば「おお!」と胸が高鳴るし、「北九州工業地帯」と言われれば心臓がばくばくする。真贋論争もあるらしいけれど、「金印」などを見せられた日には、卒倒寸前になる。
かつて、学習院大学で「金印を志賀島で見つけた百姓の名前」が日本史の問題として出題されたことがある。正解は「甚兵衛」なのだけれど、普通の高校生が普通に勉強していて「はい、甚兵衛です!」などと答えるのは大変気持ちが悪い。
これはもうカルトクイズであり、「たまたま知っているかどうか」の運を試しているとしか思えない出問だ。予備校関係者の間では、この種の難問を「甚兵衛レベル」と呼んだらしい。運試しのカルトクイズで合否を決める学校にまともな未来もない気がするのだが、最近ではさすがにこの種の難問は減ってきているらしい。当然だな。
ちなみにこの「甚兵衛」は、発見者ではなく土地の所有者、との説もある。「甚兵衛問題」を出題した教員は、研究者以前に学習者としても2流だったのかもしれない。
福岡市博物館の目玉は、金印と天下三名槍の一つである黒田節にも謳われた日本号など黒田家の資料群なのだが、新しい展示では黒田家に関わる資料は別室に展示されており、主展示室では時代軸に沿った福岡についての物語が展開する。
とても魅力的な展示だ。これで入場料200円、地下鉄の1日乗車券を提示すると150円なのだから、素晴らしいとしか言いようがない。公立の博物館とは言え、この入場料でこのクラスの展示を見られる場所は多くはない。日本を代表する市立博物館、だな。約3時間充実した展示を見た私は、脳がへろへろに疲れた。