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中国 香港・深セン

2017香港・開平13 赤坎からバスで三門里に移動し、世界遺産の迎龍楼をじっくり見学した件

2017/12/22

思いがけずに興味深かった赤坎の街並を堪能し、616番のバスで三門里に向かう。

googlemapではなぜか1時間以上かかると表示されるのだけれど、赤坎から三門里までは約7km、バスで10-20分程の距離だ。バス停を見ると、街の人に教わった616番以外に、604、613、617番なども三門里を通るようだ。バスは10分に1本程の頻度で走っており意外と便が良い。

三門里は開平と赤坎のおおよそ中間点、国道325(G325)号線沿いにある全200戸弱の小さな集落だ。

しかしこの小さな集落は、世界遺産「開平楼閣と村落」の中では極めて重要な場所だ。ここには開平最古の楼閣である迎龍楼がある。明日はルート的に少し外れた自力村立園に行き、夕方には深センに移動する予定なので、今日中に見ておきたい。

集落に向かうのどかな道を歩く。

村の入口には、開平についての簡単な解説と、集会所のような建物がある。

集会所のドアが開いていたので中をのぞいてみると、壁には開平や村についてのポスターらしきものが貼ってあった。読みにくいしさほど重要な情報はなかったけれど。

迎龍楼を目指して村の中に入る。メインストリート的な道はなく、中に入るには路地を行くしかない。池のそばで雑談をしていた人に「迎龍楼?」と尋ねても「ここを行きなさい」的に指さすので、どう考えても生活エリアである狭い路地を行かせていただく。

多分100メートル行くか行かないかの所に、迎龍楼はあった。

ここ、三門里は15世紀の”明朝正統年間”(1436~1449)に关氏一族が開いた村だ。1436年と言えば日本では室町時代。戦国時代の始まりである応仁の乱の30年前だから、結構「昔」だ。

この時期の開平もその治安はあまりよろしくなく、生命や財産を守るため关氏は村の外れに3階建ての「瑞云楼」という楼閣を建てたが、後に人口が増えたため、明朝嘉靖年間(1522-1566年)に「迓龙楼(迎龍楼)」として増築したらしい。”正統”とか”嘉靖”とか、そんな言葉ここに来るまで知らなかったぞ(苦笑)。

ともかく、迎龍楼は、15-16世紀の明代に建てられた開平最古の楼閣だ。

広報の黒い小さな「窓」は、窓と言うより銃眼なのだろう。開平の楼閣には銃眼のあるものが少なくない。匪賊、馬賊対策の楼閣だもんな。

開平の楼閣というと、一般には「出稼ぎ帰りの人が19世紀末から20世紀初頭にかけて建てた」ものだけれど、迎龍楼は500年近く昔の15世紀に建てられた。どちらも建設の目的は「水害と略奪から村を守るため」。出稼ぎ帰りのお金持ちが建てた開平の楼閣の原点、かつ手本が500年前に建てられたここ迎龍楼なのだ。

7km西にある赤坎古鎮の街並は大変に興味深かったけれど、赤坎で最も重要な世界遺産の「登録物」ははここ迎龍楼のようだ。

しかしここ三門里の周辺には、「登録」された迎龍楼に負けず劣らず興味深い楼閣群がある。加拿大村だ。

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