世界、大人の社会科見学!

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ウズベキスタン

2017ウズベキスタン22 巨大廃墟でもあるビビハニム・モスクで廃墟欲を満たした件

2018/03/19

レギスタン広場の東側にはタシケント通りという道がある。

レギスタン広場からビビニハム・モスクやショブ市場、そしてシャーヒ・ズィンダ廟群に向かうのに便利な道で、観光客が多いせいか一般の車は走れない半遊歩道となっている。当然のことながら土産物店も多い。

観光案内所があったのでのぞいてみると、スタッフのRaupovaさんがとても親切に情報を提供してくださった。Raupovaさんは日本人の知り合いも多いらしい。

旅行者が付箋を貼っていくタイプのマップは最新情報が得られてとても有用だし、日本語のファイルも置いてあって、おすすめレストラン情報などが紹介されている。中には「大使さんが行ったビール工場直営レストラン」なんてのもあり、直ちにメモ、だ。ページの下に書かれた「みなさんの旅のお役に立ちますように!」の1行が泣かせるじゃないか。

 

そして観光案内所から100m程歩いた場所には、「中央アジア最大級」(某ガイドブック)とも言われるビビハニム・モスク(ビービー・ハーヌム・モスク)がある。

「中央アジア最大級」というガイドブックの記載に異議はない。外壁の広さは167m×109mで、これは最大110mx75mと定められた国際大会企画サッカーフィールドがすっぽりと収まる大きさだ。「最大『級』」とあるのは、この文章を書いた人がこのモスクが本当に最大なのか確信がないからそう書いたのだろう。もちろん私だって知らない。

中庭には巨大なラウフ(コーランの書見台)がある。これはかつてオスマンクーランという世界最古のコーランが置かれたと伝えられている。ここを3周すると願い事が叶う、という言い伝えもあるのだそうだ。

 

ビビニハムモスクは、1399年インド外征から戻ったティムール朝の建国者ティムールによって建設が始められた。ティムールは都と定めたサマルカンドに強い愛着を抱いていたと言われ、妻の名前をつけた巨大なモスクを作ることは、その想いの顕れだったのかもしれない。モスクは異例の速さで、5年後の1404年に完成した。

しかし困ったことに、このモスク、あまり急いで作ったせいかあまり時を経ないで崩壊が始まる。「完成直後から崩壊が始まった」という説すらある。アーチの形が不満だったティムールは完成直前の1404年に作り直しを命じたのだが、天の川を模した巨大なアーチは完成初年に崩壊したのだそうだ。

この後、ビビハニム・モスクの崩壊の歴史は続く。巨大であるのにも関わらず完成を急いだためか造りが脆く、お祈りの時頭に煉瓦が落ちてきたこともあったのだそうだ。そんなことがあってはモスクを訪れる信者も減る。寂れていったモスクは数世紀後には寂れた場所になっていたらしい。更に1987年に起きた地震ではミナレットまでが折れ、ビビハニム・モスクは見事な廃墟になった。廟には廃墟時代の写真があった。

 

うぉぉ!俺はこれが見たかったぞ!!

 

ビビハニム・モスクの復旧作業はソ連時代の1974年から始まり、ソ連崩壊後はユネスコによって作業が行われるようになった。完全に崩れ落ちたドームは再建され、モスク内部も新しいタイルが貼られ始めている。ドームの高さは約40m、オフィスビルなら10階建て位と、このモスクはとにかく大きい。修復にも時間はかかるだろう。

 

しかし、修復はまだまだその途中で、左右の建物やちょっと裏を見ると、1404年からなんとか残る頃の出来た部分がそのままの状態になっている。正直、新しく修復された壁面よりこちらの方が魅力的に感じる。強度だけなんとかして、このまま残す、って訳には行かないのだろうか。

ここ、1974年の修復開始前は、「大きな廃墟」として放置されており、ほとんど人の出入りもなかったのだそうだ。その時代に来たかったなぁ。もう一回廃墟時代の写真、貼っちゃうぞ。

ちなみにこのモスクにはこんな言い伝えがある。モスクを作った建築家が、モスクに名をつけられたティムールの妻ビビハニムに恋をし、手管を用いて自らにキスをさせ、それを知ったティムールは二人の命を奪った、という話だ。ビビニハルはミナレットから投げ捨てられた、とも言われる。ティムールは生真面目だが征服した敵に対しては残忍だったという説もあり、この時代の専制君主としては、まぁありそうな話だ。

それにしても、モスクにその名前を冠した妻の命をそこで奪うとか、なんだかなぁ、だ。

モスクの完成する1404年東方遠征に出かけたティムールは、翌年1月サマルカンドから400km離れたオトラルで病死した。その遺体が埋葬されたのが、私の宿に近いグーリ・アミール廟になる。

長い歴史を持つサマルカンドだが、この街はビビニハムモスクを作ったティムールとティムール朝なしでは語れない。

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