世界、大人の社会科見学!

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中国

2017中国新疆3 イーニン(伊寧/グルジャ)にはアヘン戦争で中央から左遷された林則徐の記念館があった件

イーニンは新疆ウィグル自治区では大きな街だ。

人口300万人を超えるウルムチのようなメガシティではないけれど、2013年の統計で人口53万人、これはカラマイ市の39万人を多く超え、クムル市の57万、トルファンの62万に迫る数字で、街にはKFCやDICOSはもちろん、バーガーキングまである。さすがイリ/カザフ自治州の州都だ。

とはいえ中国の辺境であるイーニン、かつての場所にアヘン戦争の責任を取らされ左遷された清朝の官僚、かつ大臣がいる。林則徐だ。

1811年、27歳で科挙に合格した林則徐は、1837年に湖広総督(湖北省と湖南省の長官)に任命されると、このエリアに蔓延していたアヘンの取り締まりで成果を上げ、1838年には清朝よりアヘン禁輸の特命大臣「欽差大臣」に任命された。林則徐は1839年、広東でイギリス人商人の持つ2万トンのアヘンを没収し、現在の広東省東莞市にある虎門海要塞で処分した。これが阿片戦争の引き金となる。

天津にイギリスの東洋艦隊がやってきて驚いた清朝政府は、あわてて林則徐を辺地に左遷した。それがイーニンで、この地には林則徐の記念館がある。

林則徐の記念館なのだから、当然展示が阿片戦争に触れないわけがない。

イギリス人商人から取り上げた阿片を処分する林則徐と部下。

阿片窟を再現した展示もある。

最近まで知らなかったのだが、アメリカやヨーロッパの阿片窟の中でも、特にアメリカ西海岸のそれには女性スタッフのいるかなり豪華な設備のものもあったのだそうだ。私は阿片窟は苦しい労働に耐える貧しい移民労働者が流れ込む場所、という印象を持っていたのだが、金持ちでも阿片に走る人はいたのだな。

店内では、それなりに整った服装のお金持ちがパイプを吸い、

店の外には貧しい服装の中毒者が横たわる。

館内には当時の阿片のペーストのレプリカもある。でかいなぁ。直径30cmはあるんじゃないだろうか。末端価格だと、いくらくらいになるんだろう?

これは、現在世界に出回っている違法薬物とそのブランド、デザインのようだ。いつの世になってもなかなかなくならないものなのだな。

 

イーニンに左遷された林則徐は、当時あまりよくなかった水利事情を整備し農地改革に務めた。

もともと強大な力を持ったイギリス人商人から2万トンもの阿片を取り上げるような人物、イーニンでもその善政で人々に慕われたらしい。彼はこの土地で消えることなく、後に雲貴総督に任命される。

林は、阿片をもたらしたイギリスよりもロシアの脅威を強く感じ取ったらしい。「将来清の最大の脅威となるのはイギリスよりもむしろロシア」と語り、事実イーニンを中心とするイリ地区は彼の死後20数年後にロシアに占拠されている。先見の明がある人だったのだな。

林則徐の記念館はイーニンだけではなく、マカオや福州にもある。マカオは林が巡察に訪れた地であり、福州には彼の墓があるからだろう。彼は中国の英雄なのだ。

林則徐についてもう少し知りたければ、中国近代史の堀川哲夫さんが中公文庫から林則徐 清末の官僚とアヘン戦争というとても分かりやすい本を出していらっしゃる。多分もう絶版なのだけれど、1997年の本なのでまだまだ古本は手に入る。図書館にもあるかもしれない。

現代のアヘン事情を知りたい人にはアヘン王国潜入記という鬼才高野秀行の本がある。中国から「ミニ中国」としか思えないミャンマーのワ州に密入国し、農家に住みアヘン栽培を行い、更には自らアヘン中毒になった鬼才のルポ、これを読まないのは人生の損失だ。

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