2018MP5 フェルケール博物館と缶詰博物館と機械遺産のクレーンで、清水港の歴史を学んだ件
清水には鈴与という大きな会社がある。
1801年、初代初代鈴木與(与) 平が興した「播磨屋」という物流会社から始まったこの会社はどんどん事業を拡大し、今では清水エスパルスやフジドリームエアラインズを傘下におさめるまでになっている。そんな鈴与の7代目鈴木与平が作ったのが、かつての清水港湾博物館、今のフェルケール博物館だ。
「フェルケール」とはドイツ語で「交通」を意味する。1978年にオープンした清水港湾博物館は1991年にフェルケール博物館とその名前を変えたらしい。リニューアルでもあったのかその経緯は分からないけれど、正直名前は清水港湾博物館のままで良かった気もする。絶対その方が理念も展示内容も分かりやすい。
館内には清水港の歴史と関連する船舶の関連品などが展示されている。
中には当時の港湾労働者についての展示解説などもあり、なかなか興味深い。
そして個人的にフェルケール博物館よりずっと面白かったのが、裏手の缶詰記念館だった。
建物が裏手にあるのは、鈴与グループの清水食品創立当時の本社社屋をここに移築してきたからだ。この清水食品は、昭和4年日本で初めてツナ缶を作り輸出も行ったという、鈴与グループの中でも重要な歴史を持つ会社なのだ。
昭和4年に建てられた社屋は、以外とこぢんまりとしている。
決して広くはない館内には、日本で最初に作られたツナ缶や、ここで作られてきた缶詰に関する資料が展示されている。
ツナ缶を作るためには丁寧な手作業が必要になる。魚の扱いに慣れていて手先の器用な日本人には向いていたのかもしれない。
昔の缶詰のラベルもいろいろ展示されていて、これを見るのも楽しい。
輸出用のラベルには、アラビア語の文字列と ”Geisha” なる商品名が書かれている。今これをやったら、陳腐を通り越してむしろ新鮮かもしれないな。
フェルケール博物館に戻り2階に行くと、そこにはトリスウイスキーのイラストで知られた柳原良平のギャラリーがある。
こちらは室内撮影不可なので画像はないのだが、それなりに見応えがある。これら全てが見られて400円なのだから、この入場料はそんなに高くはない。
清水港の歴史と言えば、昨日エスパルスのトークショーがあったドリームプラザには、こんなものがある。
清水港テルファー。
「テルファー」とはオシャレなドイツ語…ではなく、英語の ”telpher” であり、レールの上をホイストが移動するモノレールホイスト、まぁ、クレーンの一種だな。かつてここにあった国鉄の清水港駅の木材積込み用に昭和3年に作られた、全長110mのレールがあるクレーンで、登録有形文化財にも指定されている産業遺産だ。
清水港駅は清水港線の廃線に伴い1884年に廃止された。この跡地にエスパルスドリームプラザがオープンしたのは1999年。この15年の間にテルファーが撤去されなかったのは賢明な判断だったと思う。おかげで私たちは、貴重な産業遺産を見て清水港と駅を偲ぶことができる。
そしてここエスパルスドリームプラザの運営会社も鈴与。かつて次郎長の街だった清水は、今では鈴与の街、なのだな。
ちなみにエスパルスドリームプラザには、あの麺家燕も出店していた。
私は島田の本店しか知らなかったのだけれど、こんなところにもあったのだな。メニューにつけ麺があったのでいただいてみる。
つけ麺にしては細麺だ。うーん、私はやっぱり塩ラーメンが好きかな…。