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中国

2017重慶8 歌楽山で国民党が作った刑務所「渣滓洞」を見学した件

重慶は3回中国の首都となったことがある。1回目は古代中国巴国の時代、2回目は元末期の夏王朝として、そして3回目は1937年国民党の「戦時首都」として、だ。

しかし第2次国共内戦で、1949年11月30日重慶は中国共産党軍に占領され、国民党は重慶から敗退する。2ヶ月前の1949年10月1日、既に中華人民共和国は建国を宣言しており、蒋介石の国民党はこの後台湾やタイ国境エリアまで逃げることとなる。

何が言いたいのかというと、重慶は国民党の拠点都市だったことがある、ということだ。

そして重慶には、国民党軍が共産党軍の捕虜を収容した刑務所がいくつか残されており、それらは重慶市街西部の歌楽山(歌乐山)国家森林公園の北部に集中していて、見学者に解放されている。現代史に少し関心があるのなら、重慶に来てこれを見ない手はない。その刑務所のひとつが渣滓洞だ。

宿のある観音橋からは地下鉄とバスを乗り継ぐのが一般的なルートのようだけれど、観音橋から1km程北に歩いた空港バスも停まる大庙から渣滓洞まで821番のバスが直行していることを知った私は、もちろん大庙まで歩く。マップでは所要2時間という亀バスだけれど、運賃2元で乗換なしというのが面白そうじゃないか!

821番のバスはのんびり各駅停車で走り、90分程で山の麓にある終点杨家山に到着した。ここから渣滓洞のチケット売り場までは800m程を歩くことになる。

元々小さな炭鉱だった渣滓洞は、まずはアメリカと中華民国の施設として作られ、1943年から国民党軍が共産党軍の兵士等を収容するために、刑務所として作り直したらしい。

獄舎も以前は米兵などの居室だったのだそうだ。一時期は300人を収容したとも言われる。

獄舎内に入ってみる。当時のものなのか復元されたものかは分からないが、いくつかの部屋には囚人のベッドが置かれている。

11月30日までは国民党軍の占領下にあった重慶の中でも、ここ渣滓洞は3方を山に囲まれその存在を秘匿しやすい場所に作られた。この時代だから、という訳ではないのだろうけれど、拷問器具もある。

ここがかつて炭鉱だったことが分かる展示もある。あまり大規模な炭鉱ではなかったようだ。

館内には収容者や犠牲者の肖像が掲げられている。今の中華人民共和国政府にとって彼らは建国の英雄だ。

そして、重慶陥落直前の11月27日、収容されていた囚人のうち15人が近隣の山中で処刑された。当時の新聞には「30名」と書かれているが wikipediaには15名とある。正確な人数は分からないけれど、人民軍に占拠される前に処刑した、と考えるのが自然だ。

渣滓洞のある歌楽山北部には、他にも国民党軍の作った刑務所等の施設が残る。この区間を走る20元のバスもあるけれど、その気になれば歩くこともできなくはない距離だ。

私はもちろん歩く。20元あったら昼飯が2回いただけるし、このエリアは自分の足で歩いた方が興味深いものを見落とさないで済む気もしたからだ。

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