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韓国

2018大邱13 朝鮮に帰化した”沙也可将軍”を追悼する鹿洞書院に行ってみた件

2018/09/13

大邱の郊外には沙也可将軍を追悼する鹿洞書院という場所がある。

初めて「沙也可」の名前を聞いたとき私は松田聖子の娘を思い出したのだけれど、こちらは「(神田)沙也加」と若干字が違っていた。ここに祠堂を持つ沙也可は、朝鮮名を金忠善とした「降倭」の一人だ。

私は鹿洞書院を知るまで「降倭」という言葉を知らなかった。秀吉の時代、文禄・慶長の役で朝鮮に投降した日本人を朝鮮では「降倭」と呼んだようなのだが、日本ではまず使われない言葉だ。日本人自身は「倭」という言葉をまず使わないし「降りる」という視点からもこの言葉が朝鮮のものであることが推測される。

どちらかというとあまり日本に良い感情を持たないことも少なくない韓国で、日本人を記念した施設が存在することは私には驚きだった。2度目の大邱、ここは一つその様子を見てこようじゃないか。

鹿洞書院のある大邱広域市達城郡嘉昌面友鹿キル218には、東大邱からも遠くない地下鉄七星市場駅から「급행2」のバスで行くことができる。ただ「가창2」はいくつかのルートがあり、鹿洞書院に行くのは「가창2」の中でも「가창2(우록방면)」なので注意したい。乗ってしまえば乗換なし小一時間のドライブになる。

(地図には時間帯によっていくつかのバスルートが表示されるのでご注意を)

例によって運転手さんに「鹿洞書院で降ろして下さいね」お願いしておく。運転手さんにしてみればデタラメな韓国語を必死で話しかける日本人が行く場所くらいお見通しだったのだろう。親切に「ここだよ」と教えてくれる。ありがとございます、なのだけれど…、

うわぁ、鹿洞書院以外何もない場所じゃないか!

来るときは運良くそんなに待たずに「가창2(우록방면)」に乗れたけれど、そんなに頻繁に来るバスではなさそうだし、それ以上に最終便も早そうな場所だ。これは館内のインフォメーションで帰りのバスの時間を教えてもらわなければ、だな。

「達城群訪問を誠に歓迎いたします」と書かれた日本語の幟がある。安東の市場にあった「安東ウォンドシム伝統市場に来たことを歓迎します」の幟同様、日本人には微妙に違和感のある日本語だ。言いたいことは分かるけれど。

鹿洞書院にはいくつかの建物がある。祠である鹿洞祠、向陽門、そして沙也可についての展示施設であるここ達城韓日友好館だ。

まずはインフォメーションで帰りのバスの時間を尋ねる。

韓日友好館と言ってもこの日は日本語を話すスタッフは不在で、「英語なら話せるのですが」と説明してくれる。どうやらこの帰路のバス時刻はよくある質問のようで、しっかりしたペーパーが用意されている。バスは1日28便、最終便は夜10:24分、約30分毎に結構遅くまであるのだな。安心あんしん。

館内は降倭の沙也可将軍のみならず、韓日交流の歴史全般についても触れている。

ちなみに文禄・慶長の役で朝鮮に投降した降倭は数千人いたようで、当初はすぐに処刑されていたけれど、1591年10月に勝手に処刑することを禁じる命令が出されたらしい。これは日本の技術を得るための措置で、種子島に伝わっていた火縄銃の技術も降倭かた伝わった、という説もある。

このお方が沙也可将軍。ちなみに裏側にいるのは金忠善。まぁ同一人物なんですけど。

韓国の博物館では日本語の解説は形だけのことが多いのだけれど、ここ鹿洞書院では結構なボリュームの日本語解説がある。それに比べて英語の解説は恐ろしく貧弱で、私などは「韓日英とも同じ文章や内容じゃなきゃまずいんじゃないか?」と心配してしまう。

解説によると、加藤清正の配下であった沙也可将軍は、3000人の部下を引き連れ朝鮮に侵攻したものの、日本の朝鮮侵攻の正当性のなさや朝鮮の人々の人柄に打たれ降伏し、その後朝鮮の王に仕え大きな功績を残した、とある。展示はもちろん3D動画も上映されていて、大変に分かりやすい。

が、3000人もの部下を持つ加藤清正の部下と考えるには不自然な部分も多く、その実際は分からない部分も多いらしい。沙也可本人が書いたとされる「慕夏堂文集」は当人が書いたとは思えないとか、後に脚色して書かれた文章が混ざっているとか、対馬の武士説、雑賀説、更には、岡本越後じゃないかとか原田信種じゃないかとか、もうなんでもありの状態だ。それだけ不明確な部分も多いのだろう。

ご近所には沙也可のご子孫もお住まいということなので、あまりデタラメなことは言わない方がいい気もするけどねぇ。

2階には、日本文化を紹介するコーナーもある。

和歌山?雑賀??ここで雑賀を紹介してしまったら、加藤清正の配下説を否定するようなものなんだけれど…。どうやらここ鹿洞書院は、沙也可雑賀出身説を支持しているのかもしれない。

お隣の「忠節館」という建物を覗いてみるが、

ただのホールだった。

鹿洞書院の裏には墓所もある。

この日は疲れていたし、山の上からの見晴らしもあまり期待できそうにないので墓参りはしなかったけれど、体力のある人は覗いてきても良い気がする。

韓国ではかつて書院禁止令が出された。19世紀、興宣大院君が当時横暴を極めていた書院(私学)を「見るに見かねて的」に整理したのだけれど、鹿洞書院は1971年にこの場所に再建されたらしい。今となってはあまり「私学」といった感じはなく、単なる記念館にしか見えないのだけれど、それでもここは「書院」なのだな。外国人にはわかりにくい事情だがあるのかもしれない。

「가창2(우록방면)」で七星市場に戻り、東大邱まで歩く。駅の南側に妙におしゃれな中華料理屋があったので、入ってみた。

チャジャンミョン大盛り6500ウォン。やっぱり韓国に来たらこれを食べなきゃね。お店はオシャレなせいか少しだけ高かったけれど、十分においしい。韓国で中華料理屋といえば、なんとなくくすんだ感の印象があったけれど、時代と共に中華料理屋も変わっていくんだねぇ。

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