2017-8ポーランド9 中谷剛さんのガイドで見学するアウシュビッツ1
2022/10/03
日本語版wikipediaによると、中谷剛さんは「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所内アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の最初で唯一の外国人公式ガイド」だ。
博物館には20カ国語のガイドツアーがあるのにも関わらず、日本語だけ外国人公式ガイドが存在するようになった経緯は分からないが、中谷さんはアウシュビッツの公式ガイドになろうとしてポーランドに渡ったのではないらしい。2018年に放映されたNHKBSのドキュメンタリーでは
「ポーランドでアルバイト生活をしている時に、現地の女性と恋に落ち結婚。やがてこどもも生まれここで生きていくことを決心しました」
「家族を持った中谷さんが生活のために選んだの仕事が、アウシュビッツのガイドでした」とあった。
とても印象が良い。ガイドになってしまってから「昔からアウシュビッツに強い関心があり」的なこと言わないのが良いし、嘘くささもない。正義を大声で叫ぶ人より、こういう人の方が私は信頼できる。
そんな中谷さんの後をついて歩き、最初に立ち止まったのが、あの有名な ”ARBEIT MACHT FREI” 「働けば自由になれる」のサインだ。
もちろんその労働を認められてここから出て行った人はいない。大抵の場合独裁政権によるこの種の政治的スローガンは嘘だ。嘘だからこそ人の脳裏に強引にすり込むために標語にして目に付く場所に掲げる。そして悲しいことに、この種の嘘は時として立場の弱い人たちに「信じる訳ではないけれどもしかしたら」と思わせる効果もある。酷い話だ。
収容所施設だった建物の中に入ると、そこには建物ごとに様々な展示がある。最初の建物は15aブロック。ここにはガス室の模型とそこで使われたチクロンB (Zyklon B)の空き缶が大量に保管されている。
チクロンBはドイツのシアン化合物系の殺虫剤の商標だ。アウシュビッツでは殺虫剤で人が殺された。
中谷さんのガイドには見学者への問いかけが多い。
「カントなどの哲学者を輩出し、ノーベル賞受賞者も少なくなかったドイツで、なぜこんなことが出来たのか、皆さんご自身で考えて欲しいと思います」
つまり彼は「人ごとだと思ってるかもしれないけれど、これは今だってどの国にだって起こりうることなんだぞ!」と言っている。少なくとも私はそう理解した。
そして犠牲者の遺品の数々。例えば遺髪は絨毯などの原料にされるなど、収容所側のなんらかの「合理的な」理由によって集められた。
「8万足以上の靴、3800個のトランク、12000個の鍋、約40kgの眼鏡、460本の義手と義足、570着の縞模様の囚人服、260着の洋服」。命と財産は同時に奪われた。http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf
もちろん衣食は最低限だった。収容所が収容者の健康を案ずる訳がない。中谷さんは「最近ではカロリーで考えるのは正しくないようなのですが」と言いつつも、その食事が規定では1300-1700キロカロリー、実際にはとてもそれに満たなかったらしいと教えてくれる。
絞首刑が行われた場所、
そして銃殺が行われた場所。
ガス室がありながら絞首刑や銃殺が行われたのは、明らかに見せしめのためだ。これが ”ARBEIT MACHT FREI” の本質だった。
監視塔、
そして収容所の所長、ヘスの家。収容所にほぼ隣接していると言って良い場所に家を持ちこどもを住まわせるその感覚が理解できないが、当時の彼にとってはこれは「合理的」なことだったのだろう。「正義」の定義は時代や所属する集団や組織によって違う。
そしてガス室。
この穴からシアン系化合物系殺虫剤、チクロンBが投入された。
概要については、アウシュビッツ公式サイトの日本語ガイドを見て欲しい。ツアーはこのあと、アウシュビッツ2・ビルケナウに移動する。