世界、大人の社会科見学!

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ポーランド

2017-8ポーランド11 シンドラーの工場でナチスのクラクフ侵攻の歴史を学んだ件

世界遺産の美しい街クラクフは、4世紀には既に存在していたと言われる。

長い歴史の中で500年以上の間ポーランドあるいはクラクフ共和国の首都だったこの街は、ナチスドイツによる1939年のポーランド侵攻で、その占領下に落ちた。

琺瑯工場を経営していたオスカーシンドラーは、ナチス党員に志願して入党しつつも、強制収容所に収容されて自社工場で働いていたユダヤ人1200人を虐殺から救い、また、スティーブンスピルバーグがこの話を映画化しアカデミー賞を受賞した。シンドラーの名前はスピルバーグによって世界に知らされたと言っても良い。

そんなシンドラーの琺瑯工場は今もクラクフにある。

正確に言うと、ここはずっと琺瑯工場だった訳じゃない。

クラクフがソ連軍の侵攻でナチスから解放された後、1948年から2002年までは Krakow’s company Telpod社の電気通信機器工場になっていたのだけれど、1993年のシンドラーのリスト公開を受け、2010年、クラクフ歴史博物館の分館としてオープンした。

もちろんシンドラーの工場なのだから、彼についての展示もある。例えばここは「シンドラーの執務室」なのだけれど、これは再現された展示だ。

シンドラーによって救われた人たちの名前。

館内には琺瑯加工がなされてないように見える食器類がたくさん集められているけれど、これがシンドラーの工場の製品なのか、加工前の原料なのか、あるいは工場を表現するためのオプジェなのか、そのあたりは今ひとつよく分からない。

ここはシンドラーの工場ではあるけれど、主たる展示は工場とシンドラーではなく、ナチス侵攻前そしてナチス侵攻後のクラクフの歴史を再現した博物館なのだ。

館内は、ナチス侵攻前のクラクフ、そしてナチスが侵攻し自由が制限され拷問や処刑が行われた時代のクラクフが、時代の流れに沿って情景を再現する形で展示がなされている。

第2次世界大戦中のポーランドは東西の大国、ソビエトとドイツに挟まれて悲惨な状況だった。ソ連だってドイツのワルシャワ破壊を黙認したし、カティンの森では22000人以上のポーランド人がソ連軍によって銃殺された。ポーランドは決して小さい国ではないのだけれど、この時期東西の大国に蹂躙されてきた。

1939年クラクフに侵攻したナチスドイツは、クラクフ旧市街南部のPodgórze地区にユダヤ人を移動させ、やがてそこはゲットーとして封鎖された。それまでユダヤ人が住んでいたKazimierz地区に近い広場には、椅子のオブジェが並んだ ”The Ghetto Heroes Square” がある。シンドラーの工場から歩いて5分程の距離だ。

 

そしてこの広場に面して Apteka pod Orłem. Oddział Muzeum Historycznego Miasta Krakowa という小さな博物館がある。

”Apteka pod Orłem”「ワシ薬局」はゲットーの壁の内部にあったのだが、Tadeusz Pankiewicz によってゲットーの「アーリア人薬局」として維持され、中に住むユダヤ人を助けた。

小さな博物館だけれど、シンドラーの工場に行くのなら、椅子のオブジェが並ぶゲットーヒーロー広場とワシ薬局は、素通りするのはもったいないと思う。

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