2018ドイツ2 DDR博物館で今はなき”東ドイツ”の暮らしを偲んだ件
2022/10/03
”DDR博物館” の ”DDR” は "Deutsche Demokratische Republik(ドイツ民主共和国)" の略称だが、「ドイツ民主共和国」と言うより「東ドイツ」と言う方がピンと来る人も多いだろう。もちろん私もそうだった。
ちなみに「西ドイツ」は”Bundesrepublik Deutschland” 「ドイツ連邦共和国」となるそうで、この件については私は今知った。現在のドイツは「旧東ドイツの各州がドイツ連邦共和国に加入」という形態を取ったため、その国名は ”Bundesrepublik Deutschland” のままなのだそうだ。
ドイツが西ドイツと東ドイツに分断されたのは第2次世界大戦後の1949年。その後1990年までの約40年間ドイツは西と東に分断されていた。そんな「東ドイツ」の生活について展示をしているのが、ここ DDR博物館(東ドイツ博物館)だ。
DDR博物館の魅力は、その主眼があくまで「東ドイツの『生活』」にあることだ。
ドイツには分断に関する悲惨な物語や歴史が多くそれを語り継ぐ施設も多いのだが、DDR博物館はその点についてはあまり多くは触れない。あくまで「東ドイツでの生活はこんな感じだったんですよ!」が主たる展示であり、その割り切りが大変によろしい。
館内でまず目を引くのが、このトラバントだ。
トラバントは1958年から1991年まで製造されていた東ドイツの国産車で、そのクオリティの低さは東ドイツを象徴する。
排気量600ccの空冷2サイクルのエンジンは最大出力23HP/3,800rpm。これは1970年代の日本の軽にも劣る性能で、しかもその排ガスは東側諸国の大気汚染に大変貢献したと言われる。
そしてボディはFRP(繊維強化プラスチック)。そう、トラバントのボディは鋼材ではなくプラスチックで作られていた。まぁ、貴重な鋼材を使わなくて済むしパワーのないエンジンにとって車体は軽い方が良いし、それなりの合理性はないでもない。
事故った場合のことは、あまり考えられてないけどな。
こんなトラバントだって、東ドイツでは手に入れるまでかなりの時間を要したと言う。そして展示されているトラバントはドライブシミュレータに改造されていて、ちゃちなハンドルで東ドイツでの運転を模擬体験することができる。
ちなみに大統領はこの車に乗っていたらしい。
ま、一国の大統領の車、ここで「どうしてトラバントじゃないんだ?」と言うのは野暮だと思うのだが、DDR博物館は容赦ない。
どうやらDDR博物館は「東ドイツの『西側に比べ若干貧しい生活』」を展示しているようにも見える。館内にはかつて東ドイツで使われていた生活雑貨が並ぶが、若干貧相に見えるしバリエーションも豊かには見えない。
どれも1940年代のものだと思えばごく普通なのだけれど、1980年代のモノとしては古くささを隠しきれない。これこそ「東側」の香りだよなぁ。
もちろん計画経済下の東ドイツだって、ただ過去にしたがって古くさい「モノ」を作っていただけじゃない。日本のソニーがウォークマンを発表すれば、東ドイツなりの「ウォークマンみたいなモノ」を作る。どうしても「東側」の香りが漂うのは、個性と言っておこう。
ただ住宅事情に関して言えば、日本人の私から見ればそれなりにうらやましくもある。どの程度の収入レベルの人が住んでいたかは確認できなかったけれど、広いリビングにキッチン、それなりに快適そうなバスルームやかわいらしい子ども部屋。やっぱり長屋文化も根付いていた日本とは根本的に作りが違う。
そして東ドイツの「生活」と言えば、「シュタージ(秘密警察)」による監視・密告システムも忘れてはならない。
かつてのKGBやゲシュタポ以上の監視網とまで言われたシュタージによる監視システムは、「非公式協力者」と呼ばれる大量の密告者がいて、一時期は東ドイツ国民の1/10である190万人がシュタージとその非公式協力者だたっと言われる。
「10人にひとりが秘密警察か関係者」というだけでもうむちゃくちゃだと思うのだが、2005年に発表された「監視国家―東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆」によると、「国民の6.5人に1人が隣人を監視し密告する側に立」っていたのだそうだ。
そんなシュタージや協力者の盗聴室が、これで、
密告された側はこちらに入ることになる。
あたりまえのことだけれど、このかつてない密告社会だった東ドイツにだって、もちろん娯楽はあった。
シュタージもドイツ伝統のヌーディストは規制しなかったようだ。