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ドイツ

2018ドイツ6 ホロコースト記念碑(Memorial to the Murdered Jews of Europe)にあるのは地上のオブジェだけではなく、更に100m南のブロックがヒトラーが自殺した総統地下壕だったことはあまり知られていない件

2019/01/28

テロのトポグラフィーを北方向、ブランデンブルク門の方に1km程歩くと、たくさんの柩のようなモニュメントが並ぶ広大な場所がある。「ホロコースト記念碑」こと「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」だ。

ドイツ語だと”Denkmal für die ermordeten Juden Europas”、英語だと ”Memorial to the Murdered Jews of Europe” 、日本語だと「ホロコースト記念碑」と呼ばれることの多いこの施設は、ホロコーストで殺害されたユダヤ人犠牲者を偲ぶため、2005年に作られた。

"Denkmal" は「記念碑」といった意味合いだが、ここはその対象から考えて、短く「ホロコースト記念碑」というより「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」とするのがより正確のようだ。長くなってしまうので、ここでも「ホロコースト記念碑」と書くけれど。

このモニュメントは、1988年にその設立案が示され、ドイツとイスラエルの国交樹立40周年である2005年に開設された。この2005年という数字は少しだけ覚えておいて欲しい。

ただ開設まではいろいろ議論があったようで、このような広大なモニュメントが相応しいか、慰霊の対象を同じく差別された戦争犠牲者だったロマや障碍者などに広げるか、などの議論があった。

更には、アウシュビッツの毒ガスとして使用されたチクロンBを作った会社の関連会社(DegeschDegussaの子会社)が工事に加わっていたことも判明し、工事が中断したりもしていた。スイスの新聞の指摘によって判明したようなのだが、これもいろいろ考えさせられる話だ。

『ホロコースト記念碑」は、ただの広大なモニュメント群に見える。

モニュメントの大きさには微妙な違いがあり様々だけれど、雑ぱくな記憶では長辺がおおよそ2m、短辺は1m弱、柩を連想させる。

しかしモニュメント群の東側、コラ・ベルリナー通り側には、ユダヤ人迫害についての資料館がある。ネットで検索をしても「ただのモニュメント」とあるものがあるのは、入り口がややわかりにくいせいがあるのかもしれない。

資料館の入場は無料だけれど、一度に入ることができる人数が制限されていて、私が訪問した夕刻には30分程度の行列があった。1月平日の夕方でこれだから、夏などはもっと長い行列になるのだろうな。

しかし、ここホロコースト記念碑は、モニュメントを見るだけではもったいない。行列もあるし、ネオナチや反対派に備えて荷物検査もあるけれど、やはりここは資料館を見学しない手はない。ここはその辺の観光型博物館とは違う。

ベルリンに来てから、毎日第2次世界大戦やナチスドイツの記録を見ている。「戦争に一方的加害者はない」という話もあるけれど、ナチスの戦争犯罪はどんな理屈をつけても擁護できない。ナチスは罪のない人たちの命をあまりに多く奪いすぎた。

ホロコースト記念碑の資料館には、時系列に従ってのナチスドイツの迫害の経緯などが、テロのトポグラフィー同様、主にパネル展示で開設されている。見た目のインパクトを追求するわけではない淡々とした歴史の解説は、かえってその悲惨さを深く伝える。

かつて官庁や高官の官邸があったこのエリアは、戦争と壁による分断/壁の崩壊で、ブランデンブルク門から僅か100mの場所であるにも関わらず、2005年まで空き地であり続けた。

そしてまだあまり多くの人には知られていないけれど、ホロコースト記念碑東南角から僅か100mのところには、あのヒトラーが最後を迎えた総統地下壕がある。

ヒトラーが愛人エバブラウンと最後を迎えたこの総統地下壕は、現在では駐車場になっている。ネオナチの聖地になることなどを危惧しその場所を公表したり何らかの案内板を出すことはなかったが、2006年6月にここが総統地下壕である案内版が作られた。

広大なホロコースト記念碑が作られたのが2005年5月、そしてヒトラーの最後の場所に案内看板が設置されたのが2006年6月、この時期はナチとその被害者の記録を語り継ぐのに、ちょっとした変化があった時期だったようだ。

総統地下壕は一度破壊が試みられたのだけれど、あまりに強固に作られていたため解体ができず、再び埋められた。まだこの駐車場の下には、総統地下壕が残されているのだ。

ネオナチは言語道断だけれど、悲惨な戦争のひとつの遺構として、例えそれが加害者側のものであっても、それを残し語り継ぐことは、決して間違ってはいない気がする。SSの本部があったテロのトポグラフィーもこういった思いで残されたあろうし、ここもそうであって良い、と日本からの旅行者は思う。

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