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2018ポーランド14 ワルシャワ蜂起博物館は、ワルシャワに来たら何があっても来るべき場所だった件

2022/10/03

ワルシャワ市内を歩くと、”PW”の2文字が書かれたモニュメント等を見かける。例えばこのモニュメント、最上部にPとWを組み合わせた意匠がある。

この”PW”とは、元来は”Pomścimy Wawer”「Wawer虐殺への復讐」という意味だった。Wawer虐殺とは、1939年ワルシャワ郊外のバベル(Wawer)で発生した、ドイツ軍の下士官2名が殺害された事件への報復として114人が銃殺された事件で、ナチスドイツ占領下のポーランドでは比較的初期に起きた事件だった。

この虐殺事件を忘れないと言う趣旨の"PW”は、やがてナチスドイツに抵抗する"Polska Walcząca"「戦うポーランド」という言葉の象徴ともなり、ポーランド地下国家とその軍である”Armia Krajowa”のシンボルともなり、その形状から”Kotwika(碇)”と呼ばれた。

確かに”P”の下に”W”を描いた意匠は船の碇に見える。この意匠はナチスドイツ占領下にあった1942年になんとコンテストによって決定されたのだが、そのデザインを描いたAnna Smoleńskaは、その後ゲシュタポに拘束され、アウシュビッツで死亡している。

ドイツ軍は1939年にポーランドに侵攻し敗戦まで占領を続けたが、ワルシャワは1944年秋の63日間、ナチスドイツに対して武装蜂起・抗戦を行った。ワルシャワ蜂起だ。

ワルシャワ市民による対ドイツの武装蜂起は必ずしも無計画なものではなかった。ポーランド東部一帯に進軍していたソ連軍はポーランドのレジスタンスに対ドイツ抗戦を呼びかけており、そしてその軍がワルシャワから10kmの地点まで進軍をした時点で、ソ連軍のワルシャワ進軍は時間の問題と思われた。つまり勝算があっての武装蜂起だったのだ。

ポーランドにしてみればソ連軍(赤軍)も友軍ではない。しかしドイツに対抗するには、この機会しかなかったというのが実際のところだったのだろう。

しかしヴィスワ川対岸のプラガ地区まで進行していたソ連軍は、ワルシャワ市内に入ることも可能であったのにもかかわらずそれをせず、ソ連軍のワルシャワ進軍はないと判断してドイツ軍は、ワルシャワと武装勢力を徹底的に破壊した。この戦いで、ワルシャワの民間人18-22万人が犠牲となった。第2次世界大戦で、ポーランドでは全人口2320万の19.0%である440万人、あるいは580万人が犠牲になったとも言われる。

ちなみに第2次世界大戦での日本人犠牲者は300万人、人口比では3.67~4.37%との数字もあり、つまりポーランドは日本以上に犠牲者の多かった国なのだ。

そんなワルシャワ蜂起に関する博物館が、今回ワルシャワの宿としたオホタ駅前にあるプレミアクラッセの徒歩圏内にある。ワルシャワ蜂起博物館、だ。


実はワルシャワに到着した翌朝、私は真っ先にここに来ていたのだけれど、その時はクリスマス休暇で休館だった。クラクフ、アウシュビッツ、プラハ、そしてベルリンではゲシュタポ本部やヒトラーの自殺した総統地下壕跡など、ナチスドイツの痕跡を追うようなルートで旅行をし、最後に戻ってきたワルシャワで武装蜂起の博物館を見ることになると、思いは深まる。

ワルシャワ蜂起博物館は、武装蜂起から60年を経た2004年にオープンした。比較的新しい施設だ。そのためもあって展示方法もマルチメディア等を活用した体感的で現代的なものだ。



サイドカー付きBMWのクラシックバイク。バイクには罪はないけれど、ナチスドイツ占領下のワルシャワではSSに使われていたため、嫌悪の対象だったのだろう。

ワルシャワを「裏切った」ソ連についての部屋。ワルシャワ蜂起はソ連軍(赤軍)の呼びかけと進軍なしでは起こり得なかった。

ポーランド「地下国家」は「姿を隠す」というだけでなく本当に地下をベースとして活動をした。博物館には下水道などを活用した地下通路が再現されており、その狭さを体感できる。

様々な遺留品やパネル、映像、そして実物大の飛行機B-24までは展示されている館内は広く、展示が分かりやすいこともありついつい見入ってしまう。なによりワルシャワの悲惨な歴史を思うと、見入らない訳にはいかない。

武装蜂起下のワルシャワは、映画「戦場のピアニスト」に良く描かれている。

ショパンが暮らしその心臓を埋めて欲しいとまで言ったワルシャワは、武装蜂起の後ナチスドイツに徹底的に破壊され、20万もの民間人が犠牲となり、その後70万人が追放された。

廃墟と化したワルシャワは、その旧市街では細部に至るまで丁寧に復元され、1980年に世界遺産に指定された。

本来なら「登録に値しない」とも言われかねない作り直された新しい建物と街が世界遺産に指定された背景には、「破壊からの復元および維持への人々の営み」への評価がある。「旧市街は復元されたからこそ価値がある」とまでの言葉もあった。よおし、じゃぁその「復元された」旧市街に行ってみようじゃないか。

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