世界、大人の社会科見学!

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グルジア コーカサス ジョージア

2018ジョージア6 今回の旅行のハイライトの1つと考えていたアッパースヴァネティのウシュグリ村/チャジャシ村まで、メスティアから日帰りした件① チャジャシ村とタマル女王の塔

2019/05/12

私にとって今回のジョージア旅行のハイライトは、世界遺産でもあるアッパースヴァネテのウシュグリ村とチャジャシ村だった。

ジョージアでもロシア国境に近い山間部のアッパースヴァネティ。ロシアとの国境エリアには標高5000メートルを越える山々が連なるコーカサス山脈があり、ジョージアで一番標高の高いシュハラ山(5201m)を臨む場所にあるのが、「ヨーロッパで人が定住しているもっとも標高の高い土地」と言われているウシュグリ村だ。

メスティアからウシュグリ村までの距離は約47kmだが、山道なので2時間近くがかかる。今日はここに日帰り往復をする。

毎朝9時に出発するメスティアからウシュグリ村までのバスチケットは、マルシュルートが30ラリ(=1210円)、日本車のデリカだと40ラリ(≒1600円)と10時間かかる470km先のトビリシまでと同じ運賃だけれど、公共の交通機関があって歩いたり自転車に乗ったり車をチャーターすることを思えば安い物だ。私は天気予報を確認し、前日にはチケットを手配しておいた。もし雨天なら滞在を延ばしてでも、ウシュグリ村とチャジシ村にだけは行っておかなければ鳴らない。

 

もちろん私が乗るのは30ラリのマルシュルートカ。マルシュルートカというのは「小型の乗りあいバス」を意味する言葉で車種ではない。デリカのチケットがお高いのは、安心で乗り心地の良い日本車であるためか、もしかしたら座席がゆったりしている保証、なのかもしれないな。

 

やってきたマルシュ。車種は忘れたが、そんなに快適な乗り心地じゃない。

客だってそれなりに詰め込まれるけれど、CISのマルシュとしては常識の範疇だしもう慣れた。こんなには別にジョージアだけじゃない。これがデリカなら横3列でゆったり座れるのだろうか?

マルシュはウシュグリ村に向かって走り出す。バス会社、というよりマルシュの持ち主同士での客席調整があるのか、直前に私は当初の予定とは違う別の車に乗るように言われたけれど、別になんの問題があるわけでもない。要は朝9時に観光客をウシュグリ村まで運ぶマルシュは、乗車人数にあわせて当日適当な調整をしている、ということなのだろう。結構いい加減な印象を受けないでもない。それでも前日にチケットを買っておくことは重要だ。朝いきなり切符が変える保証はどこにもない。

バスはウシュグリ村への山道を走り出す。舗装された郊外の生活道路、

舗装の怪しい少し山間部の生活道路、

明らかに最近山崩れがあった工事現場、

車一台がぎりぎり通れる砂利道、

渓谷に、

牛障害。

ウシュグリ村までは快適なドライブとは言わないけれど、見るものは豊富だ。道中それほど退屈しないで済む。マルシュは約2時間後、ウシュグリ村の入口に近い小学校近くの空き地に止まった。

世界遺産としてのアッパースヴァネティのハイライトであるチャジャシ村は、ウシュグリ村の隣というよりは、ウシュグリ村の西端の集落がチャジャシだと言ってもそんなに間違いではない。マルシュの止まったウシュグリ村入口から200m程来た道を戻ると、チャジシ村になる。

気持ち的には冠雪も美しいシュハラ山を望むウシュグリ中心部に行きたくなるけれど、まずは好奇心パワーがフル充電のうちに、世界遺産上スヴァネティの中でもその評価が高いチャジャシ村を歩くことにしよう。

「チャジャシ『村』」とは言ってもその人口は37人で家は9世帯。この小さな集落にはに中世の石の塔が12残されている。このエリアにある塔はアッパースヴァネティの塔の中でも特に古いものが多く、9世紀から13世紀の間に建てられた。塔の高さも20mから30mとメスティア市内にあるものより少し高い印象を受ける。

アッパースヴァネティの他の塔がそうであるように、ここチャジャシ村の塔も生活エリアにあり、というより民家の一部であり、生活感があるのがとても良い。


一応形ばかりのカフェや土産物屋もないではないけれど、あんまり繁盛しているようではないし、そんなに頑張って営業をしている様子もない。この緩さがいい。そしてこのチャジャシ村を見下ろす東側の丘にタマリ王女の城とその塔がある。正確には城跡、だな。今では城はほとんど崩壊していて、女王の塔だけが残っている。


タマル女王は、1184年から1213年まで在位したバグラティオニ朝グルジア王国の女王で、その治世時代はグルジアの黄金時代とも言われる最盛期にあった。今でも人気の高い女王で、彼女が保護したグルジア正教会ではタマル女王を聖人としているし、ジョージアの50ラリ札にはタマル王女の肖像が描かれている。

タマル女王は毎年スヴァネティを訪れたという話もあり、この城に滞在したと言われる。サインには「タマル女王の冬の住まい」ともあったけれど、よりによってそんな寒い時期をここで過ごさなくとも、と思ってしまう。私なら寒くない夏に来るぞ?

そう考えると、タマル女王の城と塔の下に広がる小さなチャジャシの集落はとても小さな城下町のようでもあり、城を守るためには高い塔が多くあるのもうなずける。

ちなみにタマル女王の時代グルジア王国は大きな戦でアゼルバイジャンのアブベルクを破り、バシアニでルクナディーンを破り、トルコ北部のカルスを占領し、その領土を南コーカサスのかなりの部分にまで広げた。

別に「血の掟」があろうとなかろうと、狙われる理由はいっぱいあったわけじゃん!なのだ。

城下町(勝手に決めつけた)のチャジャシ村にある12の塔と、タマル女王の城跡に今も残る塔以外にもウシュグリには多くの塔があるし、それなりに村を離れた丘の尾根にもウシュグルに来る道の河沿いにも塔はある。ここでは敵の侵入をのろしで伝える役割があったのだそうだ。

しかし高い山が備え侵略者がなかなかやってきそうにない村の北側にはない(か、私は見つけられなかった) 。これはやっぱり、この土地の人たちは侵略、特に南方からの侵略に備えて塔を建てたのではないか?と考えるのが自然な気がする。

もう、ウシュグリの塔も「血の掟」とか「復讐の塔」とかなんとか言うのは止めればいいのに、と思う。

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