世界、大人の社会科見学!

上の「世界、大人の社会科見学!」の題字をクリックすると記事一覧へ移動します。観光の王道から微妙に外れた、ちょっとへそ曲がりな海外・国内旅行記です。

スポンサーリンク

アルメニア

2018アルメニア3 バスに乗ってエレバンのアルメニア人虐殺博物館を見学してきた件

2019/08/04

世界で初めてキリスト教を国教としたアルメニアは、トルコとの関係が良くない。

2009年にやっと両国は国交樹立の合意文書に調印し、関係改善への取り組みが始まったけれど、陸路の国境は開いてはいない。更にはトルコがアルメニアと関係のよくないアゼルバイジャンと親密だということも、両国の関係に影を落としている。

アルメニアの反トルコ感情の大きな理由の一つは、オスマントルコによるアルメニア大虐殺だ。

日本語版ウィキペディアによると、この事件は「アルメニア人虐殺(アルメニアじんぎゃくさつ)は、19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺などにより死亡した事件」とされている。

更には「ヨーロッパ諸国では、特に第一次世界大戦に起きたものをオスマン帝国政府による計画的で組織的な虐殺と見る意見が大勢である。それによれば、この一連の事件は「アルメニア人ジェノサイド」と呼ばれ、21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な継承国であるトルコは国際的に非難されている。トルコ政府は、その計画性や組織性を認めていない」ともあり、両国の関係が微妙な理由もよく分かる。よくぞ国交樹立の合意文書に調印できたものだ、とすら思う。

そんなアルメニア虐殺を記録する施設がエレバン郊外にある。アルメニア人虐殺博物館(The Armenian Genocide Museum-Institute)だ。エレバンでは「ツィツェルナカベルト」と呼ばれる。

この博物館は広い公園の中にあり、私の泊まっていたIBISのあるエレバン中心部からは、地下鉄かバスに乗り、その後15分程歩くことになる。私はバスでDalma Garden Mallという大型ショッピングセンターを経由するルートを選んでみた。ホテルのスタッフの話だと、自由広場近くのバス停から9番のバスに乗れば良いらしい。



車窓からこの大きな建物が見えてきたら、この隣がDalma Garden Mall、アルメニア人虐殺博物館に行くにはこのビルの前で降りることになる。

そういえば今日は朝食をとっていない。この先公園の中に安く食事ができる場所はなさそうなので、バス停近くにあった小さな売店でピロシキとアイスコーヒーの朝食。あわせて500ドラム、100円程度だ。安い値段もありがたいし、店内にイートインスペースがあるのもありがたい。


ピロシキでお腹を満たしてから、小高い丘の上にあるアルメニア人虐殺博物館までの坂道を登る。そんなにきつい坂ではない。


博物館の開館まで少し時間があったので、公園にある外部施設を見てまわる。これは鎮魂の炎、なのだろうな。

博物館は11時に開く。

残念ながら内部は撮影禁止で画像はないのだが、館内を疑似体験できるインタラクティブ3D動画があったので、概要をお伝えするためにも貼っておこう。

オスマン帝国によるアルメニア人虐殺は、一般に2万人が犠牲になったと言われる1894年のハミディイェ虐殺から始まったとされるが、最悪のものは第1次世界大戦中の1915年から行われたと言われる。

オスマン帝国にはアルメニア人をよく思わない人たちがいたようだし、帝国領に住むアルメニア人にもオスマン帝国をよく思わない人は少なくなかったようだ。そんな中「1915年4月から5月頃、戦闘地域での反国家・利敵行為を予防するとの目的で、ロシアとの戦闘地域であるアナトリア東部のアルメニア人をシリアの砂漠地帯の町デリゾールの強制収容所へと強制移住させる死の行進政策が開始され」(日本語版ウィキペディアより引用)、これで命を落としたアルメニア人も少なくなかったらしい。

一連の迫害によるアルメニア人犠牲者数は60万から200万とも言われる。この事件を解説した文章としては、意外とニコニコ大百科が分かりやすい。

「第一次世界大戦勃発とともに国内の少数民族に対する疑念はますます深まり、「統一と進歩委員会」はアルメニア人のイラク・シリア方面への追放を決定した。実際に国内のアルメニア人民族主義組織は皇帝暗殺未遂など数々のテロ事件を起こしており、独自の軍事組織も編成し始めていた。また、国境を越えて敵国ロシア帝国に逃亡し、ロシア軍に参加するアルメニア人も多数発生していた。このため、アルメニア人に対する疑念は決して根拠のないものではなかった。」

「そして、1915年4月から1917年2月までの1年以上をかけてアルメニア人の追放作戦が実施され、その過程において虐殺・死の行進・キャンプでの病死・餓死・人体実験により百万人単位の犠牲者が発生した。」(ニコニコ大百科より引用)

最もアルメニア人虐殺の犠牲者数や解釈には諸説があり、国家・政府レベルでもアルメニア人虐殺を認めたり認めなかったり、あるいは「戦争に伴う不幸な犠牲者ではあるが『虐殺』とは言いにくい」的意見があったり、諸説が飛び交う。

ただこの時代、戦争は多く人の命は今より不当に扱われたことは間違いない。最大のアルメニア人虐殺が1915年に行われたとして、その25年後にはナチスドイツがホロコーストを行い始める。

人は時に愚かで悲しい。同じことを繰り返さないためには、語り継ぐことは決して無意味ではない。

博物館のある丘からは、晴れた日にはアララト山が見えると言う。

しかし私が博物館を訪問したときには、残念ながらアララト山は見えなかった。

アドセンス関連コンテンツ

応援投票クリックしていただけるとうれしいです! → にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村 本日のランキングはこちら

 
関連記事と広告


-アルメニア
-,

スポンサーリンク