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韓国

2019大邸/浦項2 200番のバスでかつて日本人が暮らした九龍浦(クリョンポ)の日本人家屋村に行き、町並みをしげしげと眺めた件

2019/08/26

かつて暮らした日本人の街が残る浦項郊外の九龍浦へは、高速バスターミナル前から、200番のバスが11分おきに出発する。加えて210番のバスもあるらしい。

日本人家屋街への所要時間は約40分、POSCOの製鉄所や浦項空港、畑を眺めるのどかなバス旅を楽しむ。

日本人家屋街とその中心である九龍浦近代歴史館へは、200番のバスを終点まで乗っていけば良いので迷うことはない。バスが駐車場に入ればそこが終点、道路にある「九龍浦日本人家屋路」看板が目印、というまでもなく、駐車場前がその入口になる。


門をくぐるとそこはもうかつて日本人が暮らした街で、建物は明らかに日本風になる。

日本統治時代に建てられた日本風の家屋を韓国では「敵性家屋」と言う。ソウルの龍山や仁川、釜山、群山、木浦、そしてここ浦項に多かったそうなのだが、そこは「敵性家屋」、忌まわしい日本統治時代の残滓として再開発されたり解体されることも多かったらしい。

しかし一部にはこの「敵性家屋」を近代文化遺産と捉える動きもある。例えば再開発を逃れた群山では「近代歴史景観」として整備・保存するどしているし、ここ九龍浦の旧日本人街も2011-13年に観光資源として整備が行われ今に至った。九龍浦には現在47の日本家屋が保存されている。

うーん、この光景は確かに昔の日本の街そのもの、だなぁ

韓国で赤い円筒形のポストがある場所は、もしかしたらここだけなんじゃないだろうか。

ここ九龍浦に日本人がやってきたのは、総統府が置かれた1906年からだと言われるが、これは日韓併合前ではあるけれど第二次日韓協約の結ばれた年になる。

瀬戸内海に面する旧小田村(現さぬき市)の漁民たちが、瀬戸内海の漁場争いに敗れてだか避けてだか、ともかく新しい漁場を求めてここ浦項の九龍浦にやってきたのが始まりだったらしい。

日本では狭い漁場の取り合いだったのに、ここにやってくると「魚の重みで船が沈みかけるほど」の豊漁だったのだそうで、九龍浦は小田村漁民の漁業基地から日本人街ができあがった。最盛期には漁業従事者だけでも400人の日本人がいたのだそうだ。家族や漁業に従事しない人も含めれば日本人人口はかなりのものだっただろう。

日本人の街として神社も作られたが、戦後解体され石碑のある公園となり、今では石段だけが残されている。

神社は解体されたけれど、九龍浦の発展に大きく寄与したといわれる日本人、岡山出身の十川弥三郎の碑は、解体されることなく碑文だけがセメントで埋められている。いや、かえって不気味ですから。

更にはかつて神社に続いた石段に刻まれていた日本人の名前も消され韓国人の名前が記されているけれど、裏に回ると昔の日本語は見える部分もあったりする。まぁ木造建築の神社に比べ、石は壊しにくいからねぇ。



そして九龍浦の日本人家屋街の中心的な存在なのが、やはりこの街の発展に寄与したといわれる香川県出身の橋本善吉の家屋だ。この街でもかなりの豪邸だったこの家は、現在九龍浦近代歴史館として公開されている。

九龍浦近代歴史館は入場無料なだけでも素晴らしいのだけれど、更にここには日本語を話すとても親切なガイドさんがいて、館内を説明してくださる。





館内に展示されている資料も興味深い。

韓国では、このような日本統治時代の日本の資料を展示している場所は必ずしも多くはない印象がある。個人的には、しっかりした資料を見たのは、以前ソウル歴史博物館が日本統治時代についての企画展示を行っていた時くらいだ。もちろん探せばいろいろあるのだろうけれど、どこにでもあるという気はしない。

ソウル歴史博物館ですら、日本統治時代の日本の資料を展示することについていろいろ釈明が書かれていた記憶があるのだが、ここでは意外とすんなり掲示されている。




ここの日本語を話すガイドさんはとても親切な方で、他にお客さんがいなかったせいもあるのだけれど、なんと街まで案内をしてくれた。昔のビリヤード場や、


ちょっと小ぶりだけれど「百貨店」や、




料理屋や、


食堂。


戦前の建物がこれだけ並んで残っていれば、日本でだって貴重な文化遺産だと思う。

しかしこれだけじゃない。九龍浦近代歴史館のガイドさんは、まだ公開されていない日本家屋に富士山の磨りガラスがあるからと、整備中の建物の中にまで案内をしてくれた。




これは素晴らしい。日本なら博物館に置かれてもおかしくはない。しかし私は、目に入ったこれに心を奪われた。破れた襖の下からあらわれた、日本の古新聞だ。



必死で探しても日付は見つからなかったけれど、少なくとも戦前のものであることは間違いない。これが日本から持ち込まれたものなのか、日本統治下の韓国で発行されたものなのか、そしていつのものなのか、興味は尽きない。

ガイドさんは、橋本善吉の屋敷のみならず日本人街や神社跡を案内しては興味深い話を山程してくださり、貴重な日本語の資料をプレゼントしてくださり、串尾虎まで行くバス停の場所と時間を教えてくださり、更には「安く昼食を食べたい」という私の希望に合った食堂まで教えてくださった。



ソウルや釜山、そして群山で日本家屋を見てきたけれど、「生活感に溢れる」という意味でも「街並みが残っている」という意味でも、ここ九龍浦の日本人家屋街は最も興味深く見学もしやすかった。

九龍浦の日本人家屋街がここまで昔ながらの形で残されているのは、ここが衰退した小さな町であり再開発されなかったためだろう。しかし保存して整備されたからこそ見学しやすかったのことも事実であり、この事業を行うにあたって浦項の市長は「親日家」と呼ばれたこともあったのだそうだ。親日罪が存在する国ではそれなりに大変なことだったのだろうとも思う。

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