世界、大人の社会科見学!

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香港・深セン

2019香港/深セン4 アヘン戦争博物館近隣から5番のバスに乗り、誰も知らない虎門の史蹟「逆水流龟村堡」を見学した件

虎門は、中国の行政単位で言うと「鎮」、もう少し詳しく書くと広東省東莞市虎門鎮、となる。

中国に23ある省は「でかい中国のでかい都道府県みたいなもの」で良いとして、感覚的なズレが発生しやすいのが「市」だ。中国の市には直轄市、地級市、県級市の3つがあり東莞市は「地級市」、簡単に言えば日本の県くらいの規模で、その人口は822万人(2010)、その広さは2465㎢キロメートルと、東京都や大阪府、神奈川県より広い。

そしてその東莞市には4つの区と28の鎮で構成されており、虎門鎮はその中のひとつだ。そのひとつといっても規模は大きく、戸籍人口だけで12万4000人、ここで働く人を含む常駐人口では63万8000人が住む。虎門鎮、大都会じゃん、なのだ。

中国の行政単位では、鎮の下には「村」があり、これから行く虎門鎮白沙村の広さは7.8㎢、戸籍人口は6600人で定住人口は約2万、これは日本人が「村」と聞いても大変に納得がいく数字だ。

そしてこの白沙村には、「逆水流亀村堡」(あるいは「逆流亀甲村)とう、大変地味な史蹟がある。

  高徳地図 https://bit.ly/2ltv5AJ より引用

逆水流亀甲堡は明代末期の堀に囲まれた要塞村だ。googleマップの航空写真だとこう見える。

そしてこの逆水流亀甲堡は、素晴らしいことにほとんどの観光客に見向きもされていない…。いや、これは言い方がおかしいな。ほとんどの観光客にその存在を知られていない。知らなければ見向かないことすらできないもんな。私も百度や高徳の地図をだらだら眺めていて偶然その存在を知った。googleで「逆水流亀甲堡」と検索しても、まずこの史蹟は登場しない。

いいじゃないか。じゃぁ私が日本人初の紹介者になってやろう!

と、アヘン戦争博物館前の道を北に歩く。鎮口居委会(鎮口社区)というバス停から、逆流水亀甲堡のある5番のバスで白砂村まで行くのだ。距離にしても1kmもない。

この辺りは虎門鎮も鎮口村と言うらしい。林則徐がアヘンを廃棄した池が近い位だし、それなりの歴史を持つ村なのだろうけれど、そんなに賑わってはいない。それがかえって「中国の田舎町」と風情を醸し出し、バス停までの散歩はなかなか楽しい。イカサマくさい観光古鎮なんかよりよほど面白いと思う。


鎮口市場。繁盛しているとは言わないがそれなりに人出もあり、田舎町の市場としては100点満点の風情だ。


「鎮口居委会」バス停で5番のバスを待つ。これはバスターミナルから海戦博物館、そして海戦博物館から虎門医院まで乗ったのと同じ「虎門公汽」の路線バスだ。


時間帯もあるのだろうけれど、ここで少なくとも30分はバスを待った。逆流水亀甲堡までは約3.9kmと歩けない距離ではないのだけれど、夕方のこの時間私は少し疲れていてバスに乗りたかったようだった。ちなみにこの5番のバスは逆流水亀甲保に近い虎門北部の白沙市場と虎門南部の南棚五区を結んでおり、市内中心部も通るので何もわざわざ鎮口村まで来なくとも乗ることはできる。


バスから進行方向を眺めていると、やがて「逆水流亀明清古村堡」と書かれた名所旧跡を示す茶色い案内版が目に入る。「逆流亀甲村」、「逆水流亀村堡」、そして「逆水流亀明清古村堡」と、現地に近づくほど文字数が増えていくのが「たどり着いているぞ」という感じで大変によろしい。


5番のバスで「逆流亀甲村」あるいは「逆水流亀村堡」または「逆水流亀明清古村堡」に行くには、終点の「白沙市場」で降りても良いけれど、地図を見る限り一つ手前の「白沙広場」で降りた方が距離は短そうだ。白沙広場を右手に見ながら道を南下すると、今度は6文字バージョンである「逆水流亀村堡」の標識が見える。

おお、ここだな!コンクリートの橋にも壁にもあまり風情はないけれど、ここが「逆流亀甲村」あるいは「逆水流亀村堡」または「逆水流亀明清古村堡」なのだな。


「東莞市文物保護単位、逆水流亀村堡」。1993年の6月には保護単位として指定されたようだ。結構昔なのだな。


ちなみに住居表示板には「白沙五村水围坊」とある。これはこれで良い名前じゃないか。4つめの呼び方などもう覚える気も起きないけれど。

「逆流亀甲村」あるいは「逆水流亀村堡」または「逆水流亀明清古村堡」更には「白沙五村水围坊」は、380年の歴史を持つ完全に保存された明朝の「村堡」だ。

「堡」という文字が土や岩で築いた小城を意味し「とりで」とも読むように、逆水流亀村堡(以下略)は外敵の侵入を防ぐために堀で囲んで作られた「砦の村」だ。外敵は必ずしも政権に対する敵とは限らない。明朝ところか20世紀の清朝時代にだって、広東省には馬賊や匪賊が出没した。開平の自力村碉楼群の高層建築はそういう盗賊から家族や財産を守るための建築であり、そのために見張り台や警報装置も作られていた。堀に囲まれた村堡は、間違いなく村の防衛に機能するのだ。

まずは一ヶ所しかない南側の橋を渡り、正門から村にお邪魔する。かつては木製だった橋も今ではコンクリート橋に架け替えられて風情がないが、その橋が「逆水流亀」の尻尾なのだそうだ。「逆水流亀村堡」とは「水の流れに逆らって進む亀の形をした砦の村」と言う意味なのだそうだ。


内部には100に近い家屋があり、そのほとんどに人は住んでいない。1993年に保護単位に指定されてから25年、新しい住民が増えることもなく、その人口はどんどん減っていったに違いない。中にはまだ鍵が掛けられて生活感の残る家もあれば、ほぼ廃墟になってしまったものもある。


一部の家屋はその内部を見学することもできる。内部が荒れている家屋は少なく、この集落が最近まで「人の住む村」であったことがよく分かる。


使われなくなったトイレも水洗の洋式。

そしてここ逆水流亀村堡には、まだここで生活をしている家が2軒あった。住んでいらっしゃったのは、お年を召した男性と、やはりお年を召した女性で、それぞれのお家に住まれているらしい。男性は夕食の準備をしているようで、「你好」と声をかけても「また観光客か」くらいの表情で、カメラを示しても「好きにしろ」とでも言うように頷くだけだった。まぁ会話できる中国語力もないけれど。


多分このご老人は、ここで生まれてここで育ち、あるいはなんらかのきっかけでここで生活するようになり、村が文化財に指定されてからも、昔と変わらない暮らしを続けてこられたのだろう。公共事業では結構容赦なく住民を退去させる印象が強い中国で、このお二人を強制排除しない白沙村、あるいは虎門鎮は立派だと思う。私だって年を取ったら、それまで生活していた家を離れたいとは思わない。

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