世界、大人の社会科見学!

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2019務安/木浦/珍島⑦ 900番のバスで木浦新港に行き、2014年に沈没し299人の犠牲者を出したセウォル号を間近で見てきた件

2022/10/03

2014年4月、木浦に近い珍島郡で起きたセウォル号沈没事故は、極めて悲惨なものだった。

犠牲者299人(行方不明者5人)という規模もさることながら、安山市の檀園高等学校2年生325人が修学旅行で利用していて参加生徒325人のうち250人が犠牲になったことも、事故の印象をより悲惨なものとした。人の命は全て尊いけれど、修学旅行の高校生がこんなに犠牲になったことは、あまりに悲しい。

そんなセウォル号が44メートルの海底から引き上げられたのは、事故から3年後の2014年3月23日。しばらくは木浦新港で横向きのまま置かれていたが、2018年5月に直立の姿に戻された。この間船体を見ることができたのか、どこまで近づけたのかは分からないけれど、地図を見ると船体の近くまで行けないことなさそうに思える。

どうやら木浦バスターミナルからは900(あるいは逆方向に走る900A)のバスで近くまで行けそうだ。私は朝の早い時間に、バスに乗りこんだ。

900番のバスは木浦郊外を循環するように走る。「市内座席バス」ということで運賃は市内バスより少しお高い1800ウォン。運行間隔も約30分とそんなに頻繁に走っている訳ではないけれど、木浦新港にバスで行く方法は他には見つからなかった。

900番の木浦市内座席バスは、木浦市外西北部から木浦大橋を渡り、30分程で木浦新港に到着する。木浦大橋を通り、海を眺め、左手にはケーブルカーも走るとても気持ちの良いルートで、これから見に行く船の悲惨な事故とはあまりに不釣り合いにも感じる。

木浦新港バス停に到着。他のバスでもここに来ることができないかとバス停の掲示をいろいろ眺めるけれど、バス番号についての表示は皆無で分からない。


木浦新港には全く人気がない。これが平日ならばそれなりに働いている人がいるのかもしれないけれど、日曜の今日はすれ違う人も全くいない。マップに表示された木浦新港の北部まで数百メートル歩いたけれど、途中に食堂どころか雑貨店すら一軒もない。


人気のない港の道路を歩いていると、やがてフェンスに黄色いリボンが見え始めた。


どうやらここがセウォル号を保管している場所への入口のようだ。黄色いリボンは犠牲者を悼むメッセージが書かれており、黄色いリボンが密集しているフェンス前には、事故の経緯や犠牲者についてのパネルが置かれている。


そしてフェンスの向こうに見えるのが、まさにセウォル号だ。


2018年5月に再び直立したセウォル号は、赤茶けた船体を見せる。どうやらこちら側を下に海に沈んでいたようだ。なんとかもう少し近くで見ることができないかと、船体の方に歩くと、何か書かれた案内版と、検問所のような建物があった。

プレハブの中には警備の人がひとりいて、訪れる人と何か話している。訪問者は話を聞いて引き返しているので,私も話を聞いてみる。

 「中には午後1時から5時までの間入れます。ただし入場は4時半までです」

  はい、出直してきます!

 

そういうわけで、私は駅前に行き、へジャンクの昼食をいただき、旧日本人街と金大中ノーベル平和賞記念館を見学し、再度木浦新港にやってきた。


ゲート前にはもう一つのプレハブがあり、そこではリーフレットと例の黄色いリボンを配っていた。私も一セットいただき、慰霊の言葉を書き、フェンスに縛り付ける。


例のゲートで中に入りたいと言うと、パスポートを預けて下さいと言われる。韓国の人は身分証明書を、外国人はパスポートを預けるシステムのようだ。パスポートを預けると番号の書かれた緑色の許可証を貸してくれるので、それを首から掛ける。

出直してきたおかげで、セウォル号の船体まで100mのない場所まで近づくことができた。夕方は逆光になるので、船体の写りは悪いけれど、それでも海底に接していた、錆びて赤茶けた船体が間近に見える。


セウォル号はかつて日本の船だった。1994年に日本で建造され、マルエーフェリーの鹿児島↔沖縄航路で「フェリーなみのうえ」として就航していたが、2012年5代目「フェリー波の上」就航に伴い、韓国の清海鎮海運に売却された。その売値は「ほぼ鉄屑同然」だったとも言われる。

船体は韓国で改造されたが、海底から引き上げられた今でも船体には日本語が残っている。


セウォル号は、基本仁川と済州島を結ぶフェリーとして運航されていた。その謳い文句は「韓国最大のクルーズ船」だったが、改造により船体のバランスが悪くなったのでは、という指摘もある。


セウォル号の近くには、船に積まれていた自動車や積み荷なども、引き上げられた時と変わらない状態で保管されている。

この悲惨な事故の原因は、まずは過積載とバラスト水の操作ミスがあげられる。本来船体の復元力を維持するために2000トンは必要だったバラスト水は、事故当時580トンしかなかった。これは積み荷を多く積むためだったと、当時の一等航海士は認めている。

更に事故原因として、船体の好ましくない改造や船長の不在、3等航海士の経験不足、会社の体制などが指摘されている。人災と言われても否定しきれない側面は、確かにあるようだ。


セウォル号の保管場所は隠されてはいないが、積極的に公開もされていない。が、現地で頂いたリーフレットには、「セウォル号の場所をお知りいただき、ご訪問いただいてありがとうございます」的なことが書いてある。木浦の人、いや、韓国の人はセウォル号の船体がここにあることを、みんな知っているんだろうな。

セウォル号への訪問は、いわゆるダークツーリズムの類なのかもしれない。しかしそう言い切ってしまうには、事故の記憶はまだ生々しい。まだ「歴史」と呼ぶほど昔の事故ではないからだ。

しかし船体の見学は可能だし、船体を見る経験から学ぶことは少なくない。せっかく #務安チャレンジ で木浦にやってきたのだから、こういう貴重な経験のチャンスを逃すのも惜しいとも思う。


更に光州に行けば韓国の民主化運動/光州事件の痕跡を見ることも出来る。地方観光のみならず、現代史の悲しい過去を振り返るにも、 #務安チャレンジはなかなか有効だ。

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