世界、大人の社会科見学!

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youtube動画 セルビア 旧ユーゴスラビア

2019セルビア5 旧市街を歩きベオグラード要塞をしげしげと眺めていたら日が暮れた件

2022/10/03

しばらく韓国ネタを書いていたけれど、ここで話はベオグラード市内観光の続きとなる。

個人的にベオグラード市内最大の見所は、1999年にNATO軍による砲撃を受けその姿を未だ残している「NATO空爆ビル」であり、これを見に来たと言っても過言ではないのだけれど、そこはせっかくのベオグラード、新旧セルビア教会やニコラテスラ博物館を歩き、ベオグラード旧市街の中心地と言える共和国広場へとやってきた。

最南端の聖サワ聖堂から見学地を立ち寄りながら北の旧市街まで歩いても約3.2km、徒歩の観光が楽しめる距離になる。


そんなベオグラード旧市街のメインストリート、 Kneza Mihaila(クネザミハイラ)通り。共和国広場に近いエリアには、クリスマスツリーや馬車などの飾り付けがされている。昼間はぱっとしないけれど、暗くなってから来ればきっとそれなりに美しいのだろう。



このエリアにも国立博物館をはじめいくつかの博物館があるのだけれど、改修中だったりクリスマス休暇だったりとどこも空いていない。もともと首都としては観光スポットが豊富ではないベオグラード、ここは素直に街歩きを楽しむのが良いだろうと、クネザミハイラ通りを北に歩く。



まぁ「旧市街」とは言え正直特別魅力的な道でもない。歩行者専用だからそれなりに歩きやすいけれど。むしろ街中としては大きめのショッピングセンターを見つけたことの方が収穫だった。大きめのスーパーも入っているようなので、帰路ここで晩ご飯を買おう。

旧市街のクネザミハイラ通りを500m程歩くと、カレメグダン公園に出る。サバ川とドナウ川の合流地点に突き出す場所で、中には貴重な観光スポットでもあるベオグラード要塞などがある。


ヨーロッパ最古の街のひとつとであるベオグラード、その歴史は紀元前6000年にまで遡れるとも言われる。

その要塞も歴史は古く、かつてベオグラードの人口のほとんどはこの要塞の中に集中していた…、まどろっこしいな、要は今のベオグラード要塞こそが「ベオグラードの街」だった時代も長かったのだそうだ。要塞の起源は、ケルト人によってSingidunum(シンジドゥヌム)として作られた紀元前3世紀にまで遡るという。なので、要塞内部には様々な時代の遺構が残っている。ちなみに上の門は1750年、オーストリア・ハプスブルク帝国による3度の統治時代の合間に作られた。

要塞内部には武器が展示されているが、どれもけっこう新しい。ロケットランチャーが登場したのは18世紀だけれど、初期のモノは「巨大なロケット花火」のようなものだったと言う。ここに置いてあるロケット砲はどれも20世紀後半に使われたものに見える。20世紀末に内戦があった国、いつどこで使われたのだろうと思うと、ちょっと生々しい。


紀元前3世紀には存在したというベオグラード要塞、戦争の少なくなかったこの地域では要塞の主もいろいろだった。そんな中にある「ローマの井戸(Roman Well)」。さすが「ヨーロッパ最古の街」ベオグラード、ローマ時代の建物も残っているのか、と思ったら、実は18世紀のものとのこと。どうりで煉瓦がしっかり残っている訳だ。解説はちゃんと読まなきゃだめだな。


ベオグラード要塞の西北端からドナウ川とサバ川が交差する地点の中州、あるいは島である大戦争島を眺める。

「大戦争島 "Велико ратно острво/ Great war island"」とは穏やかな名前ではないが、かつてベオグラード要塞のあるカレメグダンを侵攻しようとする勢力は、ドナウ川やサバ川を利用してこの島に渡り、そして攻撃をしたのだそうだ。

島からカレメグダン、あるいは現在ニューベオグラードと呼ばれる新市街地までの川幅は約200m、確かにベオグラード攻撃の拠点としては絶好のロケーションだよなぁ。島は市街化されておらず、そのほとんど全てが公園だ。ベオグラード侵攻拠点だった痕跡でもあれば面白いのにな。

カレメグダンの西側になるニューベオグラード(ノヴィ・ベオグラード)に日が沈み始める。

ベオグラード旧市街からサバ川を挟んで西側にあるこの街は人口21万(2011)、これはベオグラード市を構成する17の基礎自治体(オプシュティナ)で最大の規模だ。1948年、社会主義政権であるユーゴスラビア社会主義連邦共和国で建設が始まり、当時の社会主義国らしく製鉄・造船・輸送機械など重厚長大産業を核に発展し、衰退し、やがて使われていない広大な敷地がショッピングセンターなどの商業施設になり、と時代と共に姿を変えてきたらしい。

「日本人街」なるものもあるようなのだが、日本人が住んでいたり日本食店があるわけではなく、日本の支援などを記念して「日本通り」という道を作っただけらしいので、わざわざ行きたい気持ちにはならないな。

ちなみにユーゴスラビアは20世紀の100年間だけで、①セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国、②ユーゴスラビア王国、③ユーゴスラビア民主連邦、④ユーゴスラビア連邦人民共和国、⑤ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、⑥ユーゴスラビア連邦共和国などと名前を変えており、一般人には何がどういう政権なのか分からないのが当然だ。

更には「最後のユーゴスラビア」セルビアモンテネグロ、セルビア共和国、そしてコソボの独立など20世紀末から21世紀には話がもっとややこしくなり、この地域の面倒くささをよく現している。

ベオグラード要塞から今夜の宿であるHome Sweet Homeまでは約2km、往路同様旧市街のメインストリートであるKneza Mihila通りを歩く。


往路に見つけておいたRAJICEVAショッピングセンターの地下にあるスーパーMAXIで、夕飯のビールとサラダとチキンを買い込む。


暗くなってからのKneza Mihila通りはなかなか雰囲気が良い。クリスマスの時期は尚更、だな。


NATOに空爆されたビル見たさにやってきた「見所の少ない」と言われるベオグラードだったけれど、思いの他街を楽しむことができた。今回は2泊だけして中1日を過ごしただけだったけれど、街をさらっと眺めるだけなら中1日で十分な気もしないでもない。

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