世界、大人の社会科見学!

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ボスニア・ヘルツェゴビナ 旧ユーゴスラビア

2019ボスニア・ヘルツェゴビナ④ オスマン帝国時代の匂いを残すサラエボの旧市街を歩き、「戦争の中の子ども博物館」に若干の違和感を感じた件

サラエボでは戦争がらみの話が続いてしまったけれど、普通の観光だって楽しい。

ローマ帝国、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国等の支配下にあり、宗教的にはイスラム、正教会、カトリック、ユダヤ教が長い間共存するなど、多様な文化が長い間共存してきた歴史もある。戦争の記録以外にも見るものは少なくない。

例えばカトリックならイエスの聖心大聖堂。ホステル フランツ フェルディナンドの1ブロック隣、街の中心にある19世紀に完成したゴシック・リヴァイヴァル建築の大聖堂はボスニア・ヘルツェゴビナ最大のカトリック大聖堂だ。ものだ。

アリ・パシャ・モスク。オスマン帝国ブダペスト地区の知事だったディム・アリ=パシャの遺言に基づき16世紀に作られたこのモスクは、サラエボ包囲時に激しく損傷したが、スニア・ヘルツェゴビナの国家的記念物として段階的に復旧が進められた。

そして様々な文化や宗教が共存してきた旧市街。個人的な嗜好だけれど、戦争の記録以外でサラエボ観光と言えば、なんといってもここが一番楽しいと思う。場所的にはミリャツカ川の北側、ラテン橋からサラエボ市庁舎の北側、くらいに考えておけばおおよそ間違いはない。

サラエボ市庁舎。

少しイスラム風なこの建物はかつては国立図書館だった。もちろん以前は市庁舎でもあり、サラエボ事件の朝ーストリア大公フランツ・フェルディナントの歓迎式が行われたのもここだったのだが、オリジナルの建物はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時に砲撃で焼失したのだそうだ。そりゃこれだけイスラムっぽい建築で川岸にあれば、無事で済むわけないよな。

今の建物は2014年に再建された。内部にはなかなか美しいステンドクラスなどもあるのだそうだけれど、入場料がかかるようなので外観だけを見学する。歴史のある場所なのだろうし、サラエボ復興のシンボル的存在でもあるようなのだけれど、私には5年前にできたばかりの建物に入るためのお金はない。「爆殺されかかったフランツ・フェルディナントは、ここからラテン橋に向かったのか」と、外部をしげしげと眺める。


市庁舎裏から始まる旧市街バシュチャルシヤはオスマン帝国時代に作られた街並みだけれど、正教会やカトリック教会もある文化と宗教のモザイクのような街だ。建物は低層の木造建築が連なる街並みは、日本人の嗜好にも近い気がする。なんとなく日本の街を思わせるけれど、足下の石畳はやっぱりオスマン帝国、だな。

そしてそのバシュチャルシヤの中心と言えるのが Sebilj Brunnen。「ゼビリ」とは水飲み場のことで、ここは1735年に作られ1891年に移築された。細々とだけれど、今も水は流れている。木造なのが周囲の街並みとよく似合っていていい感じだ。

もちろんモスクだってある。旧市街を代表するモスクと言えば、やはりガジ・フスレヴ=ベグ・モスクだろう。


1531年、カジ・フスレヴ=ベグ(Gazi Husrev-beg)によって建てられたこの歴史あるモスクは、サラエボ包囲時には他のモスク同様「ボシュニャク人の象徴」として特に攻撃の対象となった。

ボシュニャク人というのはオスマン帝国時代にイスラム教に改宗した南スラブ人の末裔であり、セルビア勢力としては見過ごせない存在だったのだろう。紛争中終了後の1996年からサウジアラビアなどの資金協力を得て再建が始まったのだが、その姿が白い質素なものだったこともあり、2000年からはモスクを紛争前の姿に戻す復旧も始まった。修復であって再建ではないのが、サラエボ市庁舎との違いだな。

モスクの隣には、同じくカジ・フスレヴ=ベグ(Gazi Husrev-beg)によって建てられたカジ・フスレヴ=ベグ バザールがある。

この50を越える店舗が並ぶ109メートルの屋根のあるバザールは、1542-3年に作られた。

サラエボの旧市街バシュチャルシヤに大きなモスクや屋根付きバザールを作ったカジ・フスレヴ=ベグがナニモノなのか、なぜ名前の中に中点「・」と等号「=」を使うのか、謎だらけなので調べてみたところ、オスマン帝国ボスニア州の2代目の知事だったようだ。サハト・クラ時計塔を建設し、街で最初の図書館を作り、マサドラ(イスラムの一般的な高等教育機関)や同じくイスラムの神秘主義哲学であるスーフィズムの学校なども作ったらしい。

バシュチャルシヤには彼の功績を称える博物館、カジ・フスレヴ=ベグ博物館もある。

ちなみに英語表記では "Gazi Husrev-beg"、私は読めないけれどオスマントルコの文字だと”غازى خسرو بك‎”、日本語表記で中点「・」と等号「=」を併用する理由は謎だ。

旧市街を少し北に歩くと、そこには戦争の中の子ども博物館(War Childhood Museum)がある。

なんと言えばいいのだろう、ここは極めてその説明が難しい「博物館」だ。

邦訳もされ日本でも高い評価を受けた「ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995」は、編者のヤスミンコ・ハリロビッチ氏が、戦場でこども時代を送った人たちがSNSを通じて書き送った数千のメッセージを厳選して本にした。この博物館は、その本と極めて関係の深い、本の主題でもある「戦時下の子どもの私的な体験」に関する展示を行う博物館だ。

だから、展示内容も、何事かを客観的に展示・解説する、あるいは物を通して記録を残す、のではなく「私的な体験」の記録そのままだ。


一つ一つの展示物は、戦場でこども時代を送らざるを得なかった人たちの思い出がいっぱい詰まった、大切な物だ。そう、その人にとっては。

しかし、体験や記憶を共有していない訪問者にとっては、いや、少なくとも私にとっては、これらの展示物はあまりに私的であり、背景にある物語を知った後でさえ、「これはひとりひとりの思い出と一緒に、クロゼットの中にしまっておいてもよいのでは」と思わないでもなかった。

ここは、新しい観点で展示を行う、新しいスタイルの博物館なのだろう。しかし私の古い脳の詰まった頭は、この展示に強い共感を感じることはできなかった。多分私にはぼくたちは戦場で育ったの本だけで十分だったのだろう。うーむ、どんどん時代についていけなくなるぞ、私の頭。


実際この博物館の評価はなかなか高い。ここを訪問して、その展示内容にあまり心を動かされなかったり、「あまりに私的すぎる」と感じたりするのは、少数派なのかもしれない。

まぁ「博物館」に求める物の違いだろうし、英語のMUSEUMは日本語で言う「博物館」を越え「美術館」なども含む。どんなテーマでも専門のキュレーターがいて来訪者に収集物を開示すれば ”MUSEUM” だし、War Childhood Museum に何か落ち度があるわけじゃない。

そう、私の感受性がちょっとがさつなだけで、10KM(≒600円)という入場料に少し納得がいかなかっただけ、だ。

これはやっぱり、ちょっとお高いと思わないでもないぞ。

戦争の中の子ども博物館

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