世界、大人の社会科見学!

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2019モンテネグロ③ 世界遺産コトル旧市街の街並みをしげしげと眺め、スーパーの薬局で抗アレルギー剤”アレグラ”を買った件

2022/10/03

コトルの旧市街には15世紀から18世紀のベネチア共和国(あるいはヴェネツィア共和国)時代の建物が多く残っている。

その痕跡のひとつが、ここ海の門に刻まれた "Leone di Venezia"(ベネチアの獅子)。旧市街を囲むこの城壁も、ベネチア共和国時代に作られた。9世紀にベネチアの商人がアレキサンドリアから聖マルコの聖遺物を持ち帰ったことから聖マルコはベネチアの守護神とされ、その象徴とされる有翼の獅子はベネチアの象徴ともなっており、海の門の近くにも彫られている。

聖マルコの加護のためかベネチア共和国は7世紀から18世紀まで1000年以上続き、「歴史上最も長く続いた共和国」ともなった。

法の支配が徹底されていて元首の子でも法を犯せば平等裁かれた、信教の自由が保障されていたなど、国民が国家を維持しようとして不思議のない国のようだったし、海洋貿易が多くの富をもたらしたためもあるだろう。更には「飛び地上等」の海洋国家であったことも、国の寿命を延ばしたんじゃないかと思う。

 

街の中心は海の門を入ってすぐのピアザオブザアームズ(Piazza of the Arms)。その名の通り武器庫のあった広場、だったのだそうだ。時計塔のあるこの広場には、今ではレストランや土産物店が並ぶ。更には銀行やATMもあるので、クロアチアから何も準備せずにモンテネグロに来てもユーロは手に入る。

モンテネグロはEUには加盟していないけれど、公式通貨はユーロだ。EUに加盟していないのにユーロが公式通貨である国は、サンマリノやバチカン、モナコやアンドラなどの都市国家を除くと、旧ユーゴのモンテネグロとコソボだけだ。

モンテネグロはコソボ紛争以降通貨と関税に関してセルビアから独立し、1996年にはなんとドイツマルクが公式通貨となり、そして2002年からはユーロを採用することになったのだけれど、そこは非EU加盟国、ユーロを自国で印刷することができない。いや、それどころかモンテネグロ政府とEUの間には何の協定もなく、話し合いをする予定もないのだそうだ。

これは自国の全通貨を額面で輸入しているのようなもので、通貨を発行することで国家が獲得できる利益(シニョリッジ)をまるまる放棄している、ということになるのだけれど、モンテネグロもコソボも「セルビアのディナールを使うより良い、昔同じ国だった今の隣国の通貨を使いたくない」と考えたようだ。旧ユーゴのこういう複雑な歴史は、旅行者にはかなり興味深い。

 

コトル旧市街で最も有名な建築物は、何と行っても聖トリプン大聖堂(Cathedral of Saint Tryphon) ことコトルの大聖堂だろう。

コトル市内には正教会やカトリックの教会が複数あるが、ここはカトリックの大聖堂。殉教者 ”聖トリプン"はカトリックと正教会の両方で聖人とされており、ここコトルでは街の守護神として崇拝されていた。初期の教会は809年にコトルの市民によって建立され、大聖堂は1166年6月19日に建立された。

この大聖堂には殉教した聖トリプンの遺体が運び込まれ、その頭がこの大聖堂に埋められている、という言い伝えもある。コトルの紋章には、ベネチアの獅子と塔、そして聖トリプンが描かれている。

1677年のドブロブニク大地震、そして1979年のモンテネグロ地震で大きな被害を受け、修復された大聖堂の内部には14世紀のフレスコ画を始めみ美しい装飾がなされているらしい。聖トリプンがどこに埋葬されていると言われるのかが気にはなったが、中に入るのには3€がかかると聞き、入場は断念した。初期の教会が建てられたのが809年で聖トリプンの殉教が3世紀、「ここに殉教者が祀られてる」なんて分かるわけないよな。

 

こちらは聖ルカ教会(Church of St. Luke)。1195年にカトリック教会として建てられたのだけれど、1657年から1812年までの間はカトリックと正教会の祭壇が並び、その後正教会に贈られたというなんとも複雑な経緯を持つ正教会の教会だ。

「どうしてそんなことが?」と調べて見たら、1657年にコトルはオスマン帝国の支配下に入っていた。オスマン帝国はキリスト教に寛容だったと言われているけれど、そこはそれなりにいろいろあったのだろう。ちなみに教会の右側にある3階建ての建物は ”Lombardic Palace”。18世紀にお金持ちの別邸として建てられた、とのこと。Palace は「宮殿」だけではなく豪邸全般を意味する単語のようだ。

 

聖ルカ教会から広場を北に30m程行くと、そこには聖ニコラス教会 (Saint Nicholas Church)  がある。壁に下がっている旗はセルビアの国旗に似ているけれど、これはセルビア正教会の旗だ。Serbian cross(セルビアの十字架)ってやつだな。1810年に建てられたのだけれど1896年に火災で焼失し、1909年に再建された。20世紀の建物だけあってこの町では新しく見える。

 

もちろん旧市街の見所は教会ばかりではない。19世紀、オーストリア帝国時代に使われていた刑務所とか、

17世紀のピマ家の ”Palace”とか、

18世紀に作られた退役軍人用の病院とか、


とにかく街歩きが楽しい。城壁内の広さは東西に100-150m、南北に150-200m程度と広くはなく、その狭いエリアの中をちょっとした見所を探し歩くのは楽しい。

コトル、とても良い。散歩ができるアドリア海エリアの城塞都市として、個人的にはドブロブニクより好きかもしれない。来て良かった。

少しだけ時間が合ったので、駐車場前にあったスーパーをのぞいてみる。

スーパーでの物価も、明らかにクロアチアより安目だ。クロアチアでは1ユーロを割ることのなかったビールも、ここでは1ユーロ以下で買える。物価が高いと言われるアドリア海沿岸部、更には大観光地のスーパーなのに、だ。さすが自国で通貨を発行していない国は違うねぇ。お、薬局もあるぞ?

ドブロブニクに来てからアレルギー性鼻炎っぽい症状がでていたので、その薬について聞いてみると、日本でもおなじみのアレグラが出てきた。これ国際ブランドだったんだ、知らなかったぞ。日本で買うと14錠でも1000円位するのだけれど、モンテネグロでは (多少うろ覚えだけれど) 半分以下の値段で買うことができた。

これで鼻炎を抑えて、最後の訪問地ブドヴァに向かう。

聖トリプン大聖堂

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