世界、大人の社会科見学!

上の「世界、大人の社会科見学!」の題字をクリックすると記事一覧へ移動します。観光の王道から微妙に外れた、ちょっとへそ曲がりな海外・国内旅行記です。

スポンサーリンク

クロアチア 旧ユーゴスラビア

2019クロアチア⑥ ザグレブの「魔女」が集まったと言われる泉や街、そして火刑が行われた場所を見て、魔女狩りの悲劇に思いを馳せた件

2020/06/05

クロアチアの首都ザグレブは人口70万、周辺地域をあわせるとザグレブ都市圏の域内人口はクロアチアで唯一100万人を越える。

さすが一国の首都、それなりの大都市なのだけれど、こと観光となるとトーンは変わる。ほとんどの観光スポットがこぢんまりとした旧市街にあるため、「半日もあれば見て回れる」「定番の有名どころだけならば2時間で観光できる」と言われることになる。

なるほど、だったらまずはその定番を見て回ろうじゃないか。ということで、まずは旧市街の中心地であるイェラチッチ総督広場へ行ってみる。

かつてはこの広場で売買される30%の税金の名称であった「ハルミッツア」がそのまま広場の名前だったのだけれど、現在でもクロアチアの国民的な英雄であるヨシップ・イェラチッチが活躍した19世紀にイェラチッチ広場、あるいはイェラチッチ総督広場と呼ばれるようになった。

広場はまだ彼が生きている1848年に「イェラチッチ総督広場」と命名され、没後7年の1866年にはこの騎馬像が建てられた。騎馬像はユーゴスラビア時代に撤去され広場の名前も「共和国広場」とされたのだが、クロアチア独立後騎馬像も広場の名前も元に戻された。クロアチアでのイェラチッチ人気はかなりのものなのだな。

そしてそのイェラチッチ広場にあるマンドゥシェヴァツ噴水

ここは戦地から帰ってきたイェラチッチが泉のそばにいた女性マンディーに水を汲んでもらったためマンドゥシェヴァツと呼ばれるようになったのだが、昔の裁判所の記録によれば、ここは「魔女の集まる場所」ともされていたらしい。魔女狩りはかつてザグレブでも行われた。

一種の集団ヒステリーによる弱者迫害であったヨーロッパの魔女狩りは、かつては「12世紀以降キリスト教会の主導によって行われ、数百万人が犠牲になった」と言われてきたが、1970年代以降の学術的研究の進展の結果「近世の魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく民衆の側にあり、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人が処刑された」というあたりが真相らしい。また、「時期を見ると16世紀後半から17世紀、さらに限定すると中央ヨーロッパでは1590年代、1630年頃、1660年代などが魔女狩りのピークであり、それ以外の時期にはそれほどひどい魔女狩りは見られなかった」とも言われる。( 日本語版Wikipedia「魔女狩り」より) 

「魔女狩り」は宗教的な迫害でもあったのだろうけれど、個人的には「異質な物を排除しようとするムラ社会の陰湿ないじめ」的な印象も受けるし、実際、多くの犠牲者が「経済的に豊かではなく、教育を受ける機会もなく、知人や友人が少なかった」という話もある。未だにいじめや嫌がらせのなくならない人間社会、食べることや生きることが今より難しかったこの時代には、理不尽なことも多かったのだろう。

ザグレブでの魔女狩りが最も激しかったのは17世紀の初めで、一説によると326人が魔女の容疑で拘束され、106人が火刑にされたとも言う。そんな「魔女」たちが集まる場所が、このマンドゥシェヴァッツ泉、アッパータウン、夜の十字路、メドゥヴェドゥニツァ山、クレク山だと言われてきたのだ。

では、ザグレブのアッパータウンとはどこなのかというと、どうやら旧市街北側のゴルニグラド (Gornji Grad) 、マンドゥシェヴァッツ噴水から北西に500m程行った旧市街の中心地になる。丘の上に広がる街だからアッパータウン、ということだな。

ザグレブのアッパータウンは、グラデツ(Gradec) とカプトル (Kaptol) という2つの街が1つとなって出来た。この2つの街は中世には経済的な理由で諍いが絶えず、2つの街にかかっていた橋は流血騒ぎがあったため「血の橋(Krvavi Most)」と呼ばれ、橋は1899年に取り壊されたけれど、跡地の短い道には今でも「血の橋」の名前が残っている。

言っちゃ悪いが、そんな土地柄が「魔女が集まる」的噂の出所になった可能性も感じないではない。

「血の橋(Krvavi Most)」の北東200mの場所には「石の門 (Kamenita vrata)」がある。これはアッパータウンを構成したグラデツ(Gradec)の6つの門の1つであり、今ではグラデツの門はここしか残っていない。

その「石の門」の屋根には星形の突起物があるが、これは装飾でもあり「魔女除け」でもあったのそうだ。魔女は空を飛ぶからだかららしいのだが、こんなものに引っかかる魔女なんてそんなに怖くない気もする。まぁもともと言いがかりなのだけれど。

ザグレブでの魔女を火刑に処するために指定された場所のひとつは、旧市街 Streljačka通りとTuškanacの交差点にあり、Zvedišće と呼ばれた。今でもこの交差点(三叉路)の2面は緑地だ。

かつてこの場所に運ばれてきた「魔女」たちの中には拷問で足を骨折して歩くことができなくなった人も多く、そんな時に犠牲者は車、多分馬車か荷車かで運ばれたのだという。魔女狩りというと宗教弾圧的な印象を受けるが、あくまで「罪人」は市の役人によって裁かれ、市の役人によって「犯罪者」として刑に処せられた。犠牲者の無念を思うと胸が痛む。

同じクロアチアのドブロブニクは、日本の有名アニメ「魔女の宅急便」の舞台になったという話がある。確かに素晴らしいアニメだしあの町並みを飛ぶ魔女はかわいらしかったけれど、クロアチアで「魔女」と言えば、こういう悲惨な過去があったことは知っておいて良いと思う。

マンドゥシェヴァッツ

アドセンス関連コンテンツ

応援投票クリックしていただけるとうれしいです! → にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村 本日のランキングはこちら

 
関連記事と広告


-クロアチア, 旧ユーゴスラビア
-,

スポンサーリンク