オカルト記事などで有名な話だが、青森にはキリストの墓がある。
キリストは磔に処された後復活して天に昇っているので、キリスト教の教義上ではキリストの遺骸はない。「キリストの墓がある」という考えは異端なのだ。
しかし、キリストがゴルゴダの丘では死ななかったという話もそれほど珍しくはない。イスラム教のクルアーンでは磔にされたイーサー(イエス)は身代りだったとされていて、中世のヨーロッパにも伝えられている。また最近では弟ヤコブが身代わりをしたという説を唱えている。大ヒットした映画ダビンチコードでは子孫すら残している。もっとも磔の前か後かは知らないが。
キリストの墓と呼ばれる場所にはインドのカシミールや南フランスなどがある。しかしここ戸来村(現新郷村)のキリストの墓伝説には恐ろしく説得力がない。
なにしろこの地にはそんな伝説は全くなかったのだ。
それではなぜ戸来にキリストの墓があるのかというと、明治のある日、茨城からある人物が「ここにはキリストの墓があるはずだ」とやってきて「発見」してしまったのだ。この地にある資料館ですら「伝説というよりは湧説」と言わざるを得ないほど、降って湧いたような話だったらしい。
根拠となった竹内文書はその信憑性のなさにかなりの定評がある。
それはともかく、こんな魅力的なポイントを見逃す訳にはいかない。
私はGN125を旧戸来村に走らせた。
戸来に入ると消防署に「キリストの里」の旗が躍る。私の胸も踊る。
戸来にはキリストの墓とピラミッド以外これといった観光地はない。道路標識も分かりやすい。
駐車場にバイクをとめ、わくわくしながら坂道を登る。
キリストの墓は坂を登った公園のような所にあった。
ごめん、おれ、これ信用できない。
この一体は公園としてきれいに整備されている。風が気持ちいい。
奥には伝承館という資料館があった。ここには戸来のキリスト伝説湧説に関する資料がある。多分この話題については日本一の資料館だろう。小さいけれど。
入り口近くには、戸来の風習である額に十字を描いた赤ん坊の人形がある。怖い。
館内の展示を読む。
キリストがどのように日本に渡ってきたか、そして戸来でどのように暮らしてどのように亡くなったか、そのためどんな風習が戸来に残ったかがていねいに説明されている。キリストの遺書の複製などというものもありなんと言っていいのか分からない。
なんというか、大変興味深い体験をさせていただいた。
幼い頃から少年マガジンのオカルト特集などで読んだキリストの墓を、実際に見ることができたのだから全く悔いがない。私はとっととバイクを南に走らせた。