私のイタコに対する知識は貧弱だった。
青森の方で死者の霊を憑依させる口寄せなるものをしてくれる、視力に障害のある女性がなる、ついでにちょっと未来について占い的な警告をしてくれる、そしてイタコには恐山の大祭でしか会えない、とこんな感じだった。いかにも「昔テレビで見た」的知識だ。
しかし今回少し調べてみるといろいろな事がわかった。
まずイタコには男性もいて、更には晴眼者もいる。
昔は視力に障害のある女性が糧を得るために、素質に関わらず入門するという側面もあったらしいが、戦後日本が豊かになってからイタコを志す女性は少なくなり、現在では10数名しかいないらしい。
また、口寄せが主な仕事だと思っていたがそうでもないらしい。
むしろ東北で信仰される「オシラサマ」のご神体である2体の人形を遊ばせる神事の方が主だった頃もあるらしい。(これを「オシラアソバセ」という。)その他、日常的に霊的な相談に乗るなど、昔は口寄せだけが主な仕事ではなかったようだ。
更には、恐山菩提寺はイタコをさほど歓迎してないらしい。
ここにイタコが集まるようになったのは昭和30年代からと最近のことで、ついでに言えば恐山が東北の霊場として有名になったのは70年程前のラジオ番組のせいだそうだ。それほど歴史がある訳ではないのだ。更にはイタコには組合があり、お互いの縄張りは絶対に侵犯しない。恐山のイタコマチは合同の組合で仕切るらしい。
私が境内の温泉に入っているとき、中の男性が声をかけてきた。
「どこから来たんだ?」
会話が始まり、地元の方らしいと分かったのでイタコの口寄せについて尋ねてみた。本当に当たるのか、お礼はどれくらいなのか、どのイタコがいいのかなどだ。
後から分かったのだが、この男性はイタコさんのご主人だった。まだそのことに気がついていない私に彼は言った。
「長い列が人気たって、あれはバスガイドが若い女が当たるとかいうからみんな並んでるだけだ。お礼は3000円も出せばいいんじゃないの?」
イタコはお寺の正門をくぐったすぐ左にテントを並べている。
迷うことはないと思うのだが、看板も出ている。まるで焼きイカか何かの看板のように見えるところに、お寺でのイタコの地位が見え隠れする。
人気の差は激しく、誰もいないところから長い行列が出来ているものまで様々だ。
そしてこの長い行列こそが、若い女性こと日向けい子さんのテントだ。高齢化が進むイタコの世界に飛び込んだ晴眼の若い女性で、30代とのことだが20代にも見える。青森には二人の若いイタコがいるらしいが、その中のお一人だ。私も列の最後に並んでみる。
うんざりするほど列は進まない。
私の後ろにいた女性は、待ちきれず別のイタコにも口寄せをしてもらっていた。しかし満足そうな表情ではない。話を聞くと、もう亡くなってしまった親を大事にしろと言われたのだそうだ。
私も荷物を見てもらい、ちょっと口寄せを見学する。
イタコはまず口寄せを希望する仏様の名前と命日、あといくつかの質問をする。その後歌を歌って話し始めるのだが、正直どうも霊が降りたという感じはない。聞いたことをそのまま並べて「可哀想なことをした」などといい、ついでに秋には交通事故に気をつけろなど、当たるかどうかわからないことを言う。見てもらった人も「こんなもんか」という表情でお礼を支払っていた。
(上の文章はこの写真の方ではありません)
夕方になり客が少なくなると、一部のテントは撤収を始める。
撤収に当たって「こんなとこに並んでいたら朝になるべ」と客引きをする他のイタコの家族もいて、実際他所でも見てもらう人がいる。名刺をもらってきた人もいた。
撤収してる男性が聞こえよがしに言う。
「バスガイドが若い女が良いって言うんだってよ」
そうなのかもしれない。しかしそのバスガイドは無茶を言う。日向さんに見てもらうには、バスツアーでは無理だ。私はもう3時間以上並んでいるが、一向に順番が来る気配がしない。それに日向さんのテントから出てくる人は、みんな満足げな表情をしているし泣いている人も多い。声が小さいため何を話しているのか聞こえないが、私が依頼者だったら周りに聞こえるような大声で話されるのは嫌だ。
撤収が終わって着替え終えた別のイタコさんが、テントの裏にくっついて中の様子を聞こうとしている。やはり興味があるのだろうか。ちなみにイタコさんは大祭期間中、すぐ奥のプレハブで生活している。トイレが遠かったので、組合でトイレも建てたらしい。撤収時の雑談を聞いていると、いろんなことが分かる。
恐山の閉門は6時、通用門が閉まるのは7時だ。
列に4・5人残して日向さんは「ごめんなさい。もう見られません」と言った。残念ながら私のイタコ口寄せ体験はお流れになった。
その代わりと言っては何だが、私は日向さんに名刺をいただいた。
「ここに連絡すれば見ていただけるのですか?」と訊ねたが、この住所にいることはほとんどないため連絡はとれないだろう、とのこと。
名刺も他の方の物と違って、ずいぶんシンプルだった。次回こそ日向さんに見ていただきたいと思う。